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日中戦争

にっちゅうせんそう

昭和12年7月7日に勃発した戦争(当初は事変)。日本側では「支那事変」「日支事変」「日華事変」と呼ばれる。一方、中国側では「抗日戦争」「中日戦争」などと呼ばれている。

概要

昭和12年7月の盧溝橋事件を発端として、中国国民党軍(国民革命軍)と大日本帝国陸軍大日本帝国海軍との間で行われた戦闘。
蒋介石率いる中国国民党をソビエト連邦及びアメリカ合衆国ドイツ第一共和政が支援した。
昭和16年12月8日太平洋戦争(日米戦争)が勃発するまで、日中ともに正式な宣戦布告を行わなかったため、当時の日本では支那事変・日支事変と呼称した。
一方中国側では「抗日戦争」「中日戦争」などと呼ばれている。

これにより昭和15年に開催予定だった東京オリンピックは中止になり、後に対宣戦を含んだ大東亜戦争に発展する。

昭和12年7月7日、豊台(北京郊外)に駐屯する日本軍の一隊が、程近い盧溝橋において夜間演習中、突如中国兵より射撃を受けたのが、事変の始まりである。

日本は、事変を現地における局地的事件として解決し、日中両国間の政治問題にせず、事件をそれ以上拡大させない方針であって、まず7月11日、松井岩根特務機関長と第二十九軍(事件を起こした中国軍)代表・張自忠との間に現地協定を結んだが、一方事態の重大化を慮って日本政府は同日、重大決意を声明し一部兵力増遣を発表した。中国側でも軍隊を盛んに北上させ、しかも不法行為は次々と起こった。
天津において香月清司駐屯軍司令官と宋哲元との会見の結果、約諾するところがあったが、中国軍の不法射撃は依然として行われたので、香月司令官は7月20日、独自の行動をとる旨を声明した。蒋介石もまたこの前日、重大決意を表明し、事態は重大化した。
7月25日、郎坊において天津北京間の軍用電線修理中の日本軍に対し、中国軍は射撃を加えた。日本軍は激戦してこれを駆逐し、香月司令官は28日正午を期限とする最後通牒で、二十九軍三十七師の北京撤退を要求したが、その間に北京広安門の不信射撃事件を生じたので、28日早朝より日本軍は二十九軍全部を駆逐する決意で戦闘を開始した。
これより戦闘は本格的に展開されることとなり、その結果遂に8月8日、日本軍の北京入城によって治安が確保されたが、その翌日に起こった上海共同租界延長道路における日本の陸戦隊の大山勇夫大尉・斎藤與蔵兵曹の惨殺事件によって局面は急転して、全面的衝突となったのである。

日本政府は耐え難い心を抑えて我慢し、軽々しく行動せず中国側の反省を待ったのにも拘らず、中国はあくまで日本を過小に評価し、背後にあるイギリスアメリカソ連ドイツの勢力をたのみとして、遂に事件を全面的衝突に導いた。
そのため硝煙は中国大陸の野を蔽い、アジアにとって極めて悲しむべき事態が展開されるに至ったが、事ここに及んでは、日本は事変の徹底的解決に着手せざるを得なくなった。
欧米・ソ連の勢力を利用して日本を制圧しようとするのは、却って中国自身を欧米ソ連の植民地とし、遂には共同管理のような形式によって独立を失う原因となるおそれがあった。日支事変の目的は、中国が多年にわたって欧米勢力に依存し、その力を借りて日本の勢力を駆逐しようとする日中提携拒否の思想、抗日・排日・侮日の思想を断ち、日中の提携を堅くし、共存共栄の実を挙げ、東アジアの新秩序を建設し、世界平和の確立に貢献することであった。

国民政府の行政院長兼外交部長として満洲事変以後の日中交渉の衝に当たってきた国民党副総裁汪精衛は、昭和13年の春の頃より日本との和平提携を企図しつつあったが、12月に至って重慶を脱出し、対日和平の建言を重慶の蒋介石に送り、断固として日中和平提携運動に乗り出した。孫文の「日本に対して仇を解くべし。結ぶべからず」との意思を根本として、純正国民党を再建し、昭和14年8月28日、上海において第六次国民党全国代表大会を招集。9月5日に第一次中央執行監察委員会議を開催、新中央政府樹立を議すべき中央政治会議に対する準備をし、同15年3月20日、南京に北支の臨時政府、中支の維新政府、国家社会党、中国青年党、蒙古連合自治政府等の代表者を会集して中央政治会議を開会。ここに新国民政府の成立が決定され、3月30日、新政府の南京還都および各長官就任典礼が挙行されて、防共親日を旗じるしとする新政府が確立された。

昭和15年11月、南京政府との間に日華基本条約ならびに附属議定書が正式に調印された。新しい中国と日本は、「東亜新秩序」建設を共同の理想として提携し、世界平和に貢献することを約束した。
同時にまた日満華三国共同宣言が発表されて、相互の主権および領土の尊重、互恵を基調とする三国間の一般提携、特に善隣友好・共同防共・経済提携の実を挙げること、およびそのために必要な一切の手段を講じること等が宣言された

昭和20年8月15日、日本の敗戦で15年に亘った戦闘は終結し南京政府は崩壊。
蒋介石率いる国民党軍も疲弊し、昭和24年には中国共産党本土を略奪され、中華人民共和国が建国されることとなる。 日中戦争の賠償問題は、中華人民共和国との間で昭和47年の日中共同宣言を経て、昭和53年の日中平和友好条約で、最終的に決着済みである。
しかし一方、国交を継続すべき台湾の蒋介石率いる国民党政権と断交して、北京政府とのみ国交開始したことは、日本外交史上の汚点である。

なお中国では汪精衛は国際道徳と東洋平和のために身命をなげうって、ソ連に盲従する毛沢東や米英に踊らされる蒋介石と戦い抜いたにも関わらず、売国奴扱いされていることは残念である。

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