有吉弘行
太田プロダクション所属のピン芸人。
1974年5月31日生まれA型。
ちなみに、名前の読みが「ひろゆき」ではなく「ひろいき」である理由は、父親が役所に名前を提出する際に、酒に酔っていたため「ひろいき」と間違えて申請したためである。
そのため、父親は「ひろゆき」と呼んでいると有吉は語っている。
1993年、テレビ番組の企画でオール巨人に弟子入りするが他の弟子との喧嘩が原因で謹慎処分を受けた。
1994年、森脇和成とお笑いコンビ猿岩石を結成。
1996年、「進め!電波少年」のヒッチハイクの旅で話題になり大ブレイクする。
2004年3月、森脇との方向性の違いで猿岩石を解散。ピン芸人として活動を始める。
2007年ごろから、他のタレントや芸人に対しての「あだ名の命名」が注目され再びブレイクする。
芸風
猿岩石時代とピン芸人時代とで芸風ががらりと変わった芸人である。猿岩石時代は番組の企画で人気者になったため芸人としての実力が伴っておらず、人気が下火になるにつれてメディアへの露出も少なくなっていった。
2004年に猿岩石が解散してからはピン芸人として活動を開始。自身が「一発屋」であることをネタにした自虐芸や裸芸・リアクション芸などで徐々に活躍の場を広げ、「アメトーーク」での企画で「一発屋芸人にならないための方法」をプレゼンした際に品川裕を「おしゃべりクソ野郎」と名付けたことで大爆笑を巻き起こしたことで毒舌芸人として新境地を開拓。
それ以降、絶妙に相手を引き立てる毒舌と、誇張を交えながら的確に相手のキャラクターを捉えたあだ名付けから人気を博し、猿岩石時代以上に多忙なお笑い芸人へと返り咲いた。
このことから自分のことを「二発屋」と呼んでいる。
外部リンク
本人のブログ『有吉弘行の馬鹿だからブログやってます』