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マルキ・ド・サドの編集履歴

2016-11-09 12:53:32 バージョン

マルキ・ド・サド

まるきどさど

フランスの文章家(小説家)サド侯爵。獄中で書かれた『ソドム120日』が有名。(1740-1814)

概要

フランス十八世紀の小説家

「マルキ」とは「侯爵を意味」し、日本ではサド侯爵とも呼ばれる。

SMプレイのサディストとは大違いで、相手の快楽を一切認めない人物で、ひたすら一方的な加虐を好む。例を挙げると毒入りの飴を説明なく食べさせて苦しむ様子を興奮しながら観察していたというガチでヤバい性癖。ちなみにプレイとしてのサディストとマゾヒストは合意があるのでマゾッホの小説に近い。サド伯爵の性癖である真性サディストからするとマゾッホの小説に出てくるサディストはぬるいと感じるだろう。自分のやらかした罪悪感や周りから嫌悪の目で見られることにも興奮し、サディズムという概念の中に実は真性マゾヒズムの意味も含まれている。

1740年に侯爵家で生まれ幼少時代から冷酷で苦痛の家庭環境に育つ。少年時から嗜虐的な遊びや変態的行為が止まらなくなったという。青年時代になるとますます常軌を逸した行動が目立ち、監獄病院などの常習者となった。その後サド侯爵は、使用人の少年とBL行為に及んだ咎によりカトリック教会からは破門、フランス王国からは死刑宣告を出されパリから逃亡する。文章を書くという行為にのめりこんだのは監獄病院に収監されている時のようだ。

フランス革命時代にパリに帰還するも貴族でありながら『共和政支持』を表明したが、当時の公安委員会の革命政府に対し『暴力的政治体制やギロチンに反対する』というから革命政府より反逆者としてバスチーユ監獄に収監された。『ソドム120日』はそこで収監中に書かれた文章である。フランス革命後もサドは執筆活動が続き、フランス国内が動乱で変動しても監獄に収監のたらい回し続け 1814年没。


関連タグ

サディスト 語源

ソドム百二十日

ジル・ド・レ サド自身が崇拝していたらしい。

その他

SM ドSホイホイ

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