1889年に若松市として市制施行。1955年に周辺村の編入に際し現市名に改称した。(1914年に市制施行した福岡県若松市(現北九州市若松区)との混同を避けるため)
会津藩の本拠地として城下町の歴史をもち、若松城(鶴ヶ城)は1643年以来会津松平家(保科家)の居城となった。
幕末、会津藩は薩摩藩や長州藩と敵対し、戊辰戦争最激戦の会津戦争の舞台となり、城下は焼け野原となってしまう。そんな中、いまだ少年であった白虎隊士たちが燃える城下町の煙を落城と勘違いし、自害する悲劇も起こった。
維新後は錦の御旗に刃向かった「朝敵」とされた会津であったが、日清戦争後、白虎隊精神が戦意高揚のためのプロパガンダに利用され、会津武士は一躍忠君愛国の鑑とされるようになった。
戦後は観光宣伝のために会津武士が利用されて薩長との対立史観が流布する。遂には萩市との姉妹都市提携を断るまでになってしまった。
去年11月にはマジカル福島の開催地のひとつとなった。