只見線
ただみせん
会津若松駅(福島県会津若松市)と小出駅(新潟県魚沼市)を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線で、地方交通線。
福島県会津地方と新潟県魚沼地方を結ぶルートであるが、並行する国道252号線が冬季通行止となる程の豪雪地帯を通っており、冬季の代替交通がないことから観光シーズン以外は閑散路線化(一部区間では1日3往復しか運行されていない)しているのにもかかわらず、存続して来ている。
会津若松 - 西若松間は会津鉄道会津線列車が直通する。この区間については会津鉄道の方が只見線よりも多い。
2011年(平成23年)7月に発生した新潟・福島豪雨の影響で会津川口 - 只見間で10年以上に渡り不通となっていたが、福島県及び周辺自治体が設備維持管理費を負担する上下分離方式に合意。2018年(平成30年)6月18日より復旧工事が行われ、2022年(令和4年)10月1日、全区間で運行再開した…が、復旧区間1番列車である下り423D普通会津若松発小出行で運用中であったキハE120形気動車(キハE120-2)が、復旧区間外の塔寺 - 会津坂本間を走行中にまさかの車両故障が発生。エンジントラブルにより立往生、車載救援梯子が壊れるというハプニングもあり、運行再開まで時間を要したため、前日に運行終了したばかりの代行バスが再登板することとなった。
このため、復旧区間1番列車は423Dではなく、後続団体用臨時列車9443レ「再開 只見線号」となった。
山岳地帯を越えて行くため、全体を通して線形は極めて悪く、その影響で最高時速65km/hまでしか出せない。
開通 - 国鉄分割民営化まで
- 1926年(大正15年)10月15日:鉄道省会津線として会津若松 - 会津坂下駅間開通。西若松・会津本郷・会津高田・新鶴・会津坂下駅開設。
- 1928年(昭和3年)11月20日:会津坂下 - 会津柳津間延伸。塔寺・会津坂本・会津柳津駅開設。
- 1934年(昭和9年)11月1日:七日町・根岸・若宮駅新設。
- 1941年(昭和16年)10月28日:会津柳津 - 会津宮下間延伸。郷戸・滝谷・会津檜原仮乗降場(現・会津桧原)・会津西方・会津宮下駅開設。
- 1942年(昭和17年)
- 1951年(昭和26年)
- 1954年(昭和29年)
- 1956年(昭和31年)9月20日:会津線会津宮下 - 会津川口間延伸。早戸・会津水沼・会津中川・会津川口駅開設。
- 1963年(昭和38年)8月20日:会津線会津川口 - 只見間延伸。会津横田・会津蒲生・只見駅開設。
- 1965年(昭和40年)
- 1971年(昭和46年)8月29日:只見 - 大白川間延伸に伴い、全通。只見線(初代)を会津線に編入、只見線(2代)に改称。会津線支線(現・会津鉄道会津線)を旧会津線から分離。田子倉駅開業。
- 1972年(昭和47年)10月1日:羽越本線全線交流電化完成で「鳥海1号」が特急「いなほ」に格上げされ、廃止されたため「よねやま」「奥只見」も廃止。「奥只見」の愛称は小出 - 会津若松間に新設された気動車急行に転用。「よねやま」は急行「佐渡」を参照。
- 1980年(昭和55年)10月1日:大白川 - 小出間貨物営業廃止。
- 1982年(昭和57年)
国民営化後 - 2011年(平成13年)豪雨による運休まで
豪雨による長期運休以降
只見・会津鉄道系統の2系統が設定されている。会津鉄道は西若松を経由する全列車が会津若松に乗入れ、土休日等は磐越西線(森と水とロマンの鉄道)喜多方まで直通する。詳細は会津鉄道の項を参照。
本項では只見線列車について記載する。
只見線系統列車は定期列車はワンマン普通列車のみで、他線との直通は行わない。ただし、臨時列車については磐越西線や上越線と直通するものがある。
会津鉄道系統に比べて本数が少なく、全線通し列車は3往復しかない。
区間列車は会津若松 - 西若松間及び会津若松 - 会津坂下間にそれぞれ1往復、会津若松 - 会津川口間に3往復、大白川 - 小出間に2往復(土休日1往復)、この他に只見発着臨時列車と接続する不定期普通列車が小出 - 只見間に1往復設定される。
なお、西若松始発・終着列車は運用の都合上、会津鉄道車を使用する。
会津鉄道で運用される車両は当該項目参照。