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アレクサンドロス大王の編集履歴

2017-10-28 02:13:02 バージョン

アレクサンドロス大王

あれくさんどろすだいおう

マケドニア第26代元首(君主)。アレクサンドロス3世の通称。

Ἀλέξανδρος Γ'(アレクサンドロス・ホ・トリトス、アレクサンドロス3世)


在位:紀元前336年~紀元前323年(20歳~33歳.13年)

出生:紀元前356年7月20日~紀元前323年6月10日(33歳)


名前の呼び方が国によって違い、ギリシア語ではἈλέξανδρος Γ'(アレクサンドロス3世(Γ'はギリシャ数字で3を意味する))またはἈλέξανδρος ὁ Μέγας(アレクサンドロス大王)と呼ぶが、英語ではアレキサンダー(アレクサンダー)、スペイン語ではアレハンドロとなる。

また、アレックスサーシャ等の人名はアレクサンドロスの名に由来する。

アラビア語では名前の最初の"アル"を定冠詞(英語でいうthe)と勘違いし、イスカンダルという名前で定着した。

(本来、人名の前に定冠詞をつけることは無いが、彼が「ただ一人の英雄」と呼ばれるにふさわしい人物であったことや、西洋では珍しくもないアレキサンダーという名前で呼びたくないということから、あえてイスカンダルという名前で広めたという説もある。)

 

大王として名高いアレクサンドロス3世は、アルゲアデス朝のマケドニア王で、ギリシア神話圏都市国家同盟(国家連合)の一つ、ヘラス同盟(ギリシア同盟・コリントス同盟)の盟主で、エジプトファラオを兼ねた人物である。


アレクサンドロス3世は、マケドニア王フィリッポス2世とエペイロス王女オリュンピアスの間に生まれた。紀元前338年、アレクサンドロスは一軍の将として父に従って古代ギリシア地方に出兵し、初陣となったカイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破った。


紀元前336年に暗殺された父に代わり、20歳の若さでマケドニア王を継承したアレクサンドロスは、敵対者を排除してマケドニアを掌握すると、トラキア人と戦うためにイストロス川方面に遠征して成功をおさめ、全ギリシアに再び覇を唱えた。


全ギリシアをマケドニア国の傘下に入れたアレクサンドロスは東方(古代ではメソポタミア・西洋ではオリエント・現在は中東)地方の併合を開始し、アレクサンドロスは率先して軍を率いた。

軍事面でも当時相当に革新的な「ファランククス隊列」を組み、オリエント地方の王国軍を殲滅。

メソポタミアに広大な版図を誇ったダレイオス3世率いる強国アケメネス朝ペルシアを粉砕し、その後もさらに東方に進撃し版図を広げた。


アレクサンドロスは元首に就任した20代までにメソポタミア全土とエジプト王国・最終的にインド地域を版図に治めるという驚異的な成果を挙げた。

以後の世界情勢でも『ヨーロッパ』と『アラビア』を共有した国はローマ帝国オスマン帝国モンゴル帝国の東欧進出は分断後)くらいなものである。


アレクサンドロスがギリシアとアラビア(オリエント・エジプト)を跨いだ統一国家を作った事で、文明・文化の行き来が起こり大いに発展したとされる(ヘレニズム)。

また、政府運営にギリシア人だけではなく、元アラビア王朝関係者も招いて(利用して)政治を行った。

アレクサンドロス自身もペルシアの文化に則った行動を取りペルシア人を受け入れようとした。

しかし、この融和政策は、文化的にはともかく、人心には逆効果だった。

部下のギリシア兵にとっては異国の文化を強要されたため、指揮に悪影響が出始めていた。


一代で築いた大帝国マケドニアのあまりに広範囲過ぎた。

長きに渡る遠征で兵には疲労が蓄積しているにも関わらず、どこまでも侵略し続けるアレクサンドロスに対して、望郷の念に駆られた兵士が懇願し、折れたアレクサンドロスは帰国を決定した。

紀元前323年、アレクサンドロスは祝宴の最中、突然高熱を出して倒れ、数日うなされた挙句、死去した。32~3歳だったと言われる。

死期を悟ったアレクサンドロスは「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言を残した。

部下たちは遺言に従って覇者を決めるべく内乱となり、その最中に母オリュンピアスや王妃ロクサネ、王子アレクサンドロス4世などの直系を含む王族は戦火や暗殺などにより全滅、アレクサンドロス3世の血筋は後継者すら決まることなく断絶してしまう。

その後、生き残った有力な部下たちが遺領を分割して複数の王朝を建てたが、プトレマイオス朝エジプト以外は長続きしなかった。


その後の東ローマ帝国ビザンツ帝国)時代にも『アレクサンドロス』と名付けられた元首が存在した。


特長など

  • 金髪らしく左右の目の色が違っていた。(オッドアイ
  • 癲癇(てんかん)かナルコレプシー(睡眠病)といった意識を失う病気をわずらっていたようで、遠征途中でもたまに泡を吹いて気絶していたとされた。顔を傾けて話す癖があった。ただし癲癇症だった場合、病状の進行度によっては発作中出なくても馬に乗ったり、戦う事など不可能である。
  • 同性愛者(少年愛者)だった。
  • この時代の権力者は後のローマ元首ローマ帝)のように政治家が月桂冠をかぶる習慣はなく、あくまでアポロに好かれるような体操選手の特権であった。替わりに自由の女神のような『放射冠、ギリシア冠』のようなギザギザの入ったものを被っていたとされる。

外部リンク

アレクサンドロス3世 - wikipedia


アレクサンドロス大王を元にした作品

仮面ライダー1号

詳細⇒アレクサンダー眼魂(ゴーストアイコンとして登場)

Fate/Zero

詳細⇒ライダー(Fate/Zero)

Fate/GrandOrder

詳細⇒アレキサンダー(Fate)



関連タグ

アレクサンドロス3世 アレクサンダー大王 アレキサンダー大王

ピリッポス2世 オリュンピアス

征服王 イスカンダル

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