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占守島の編集履歴

2020-10-06 23:57:54 バージョン

占守島

しゅむしゅとう

千島列島東端にある国境の島。よく間違えられるが千島列島最北端は阿頼度島であり本島ではない。

概要

 守島は千島列島北東端に位置し、南西から北東に約30km、北西から南東に約20km程の島である。北東の千島海峡(占守海峡)を隔ててカムチャツカ半島と相対する。海岸線は、北側の一部を除き殆どが崖で、岩礁が多い。島の大部分は標高100~200mのなだらかな丘陵で、沼地や草原が広がっている。島名の由来は諸説有るが、アイヌ語の「シュム・ウシ(南西に在る)」が有力。


かつては千島アイヌが居住していた。18世紀になるとロシアの進出が始まり、占守島を含む北千島はロシアの支配下に入った。その後、1875年に樺太・千島交換条約が締結され、得撫島から占守島までの18島が日本領になった。この時、占守島に住んでいた千島アイヌは色丹島に強制移住させられた。その後しばらくは無人島だったが、1899(明治29)年春に、元海軍大尉の郡司成忠率いる「報效義会」のメンバーが入植した。入植事業自体は失敗したが、北洋漁業の拠点として発展し、大正期には約1,000人(夏季の人口)が住んでいた。行政区画上は北海道(千島国)根室支庁占守郡に属していた。


1945(昭和20)年8月には「占守島の戦い」の舞台ともなり、今でも戦車トーチカの残骸などが残っている。現在はロシア連邦の実効支配下に在る。


関連イラスト

漫画・占守島の戦い戦車第十一連隊 北海道占守島  (鉄獅子その21・改)


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占守(艦隊これくしょん)

第二次世界大戦 大東亜戦争 太平洋戦争 占守島の戦い

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