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定恵院の編集履歴

2011-12-09 12:34:46 バージョン

定恵院

じょうけいいん

定恵院とは戦国時代の甲斐国国主武田信虎の長女(1519~1550)。 武田信玄の姉であり、今川義元の正室となった。

概要

1519年に信虎の長女として生まれる。正室との子であり、信玄の同母姉にあたる。

1537年に今川家との同盟強化のために義元の元に嫁ぐ。

その後義元とに間に長男今川氏真を授かり、娘も二人もうける。

しかし、1541年に弟晴信が父を追放してしまう(正確には甲斐への帰国を拒絶)。この時信虎はちょうど定恵院と義元に会うため駿河を訪れ、その帰途にあったため、以後信虎は娘夫婦を頼って駿河に滞在する。

1550年に死去。享年32歳。

彼女の死後今川武田間の同盟を維持するため娘の嶺松院が甥の武田義信に嫁いだ。後に信玄の娘で彼女の姪にあたる黄梅院が北条氏政に嫁ぎ、更に息子氏真が北条氏康の娘である早川殿と結婚したことから甲相駿三国同盟に繋がっていく。

戦国大戦

戦国大戦に今川家の武将として登場。若くして死去したことからか、見出し画像のように包帯を巻いた病弱で儚げな女性となっている。彼女の父と弟の関係は険悪で、自身は(当時から言えばそう極端ではなかったが)早死にしている。そして仮に長生きしたとしても夫が戦死し、加えて息子が弟に裏切られて没落していく様を見ることになっていたあたり、当時の武家の女性の悲哀を感じさせる。


スペックは武力2/統率4の弓足軽。

戦力としては頼りないが、持ち計略の「力萎えの術」は範囲内の敵軍武力を低下させる効果を持つ。

相対的に自軍の与ダメージを増し、被ダメージを削ることにつながるので、悪くは無い。


私の命があるうちに‥‥‥天下に平和は訪れるでしょうか

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