概要
古代エジプトの王(ファラオ)の一人。父はイクナートン(アメンホテプ4世)母は諸説あり不明。妻はアンケセナーメン。
元々はアテン神の信徒だったのでトゥト・アンク・アテンを名乗っていたが、父の死後、アメン・ラーの信仰を復活させ、トゥト・アンク・アメンに改名し首都をアマルナからメンフィス、テーベに戻した。ツタンカーメンはこれを英語読みしたもの。
19歳前後でその短い生涯を終えることとなる。死因については諸説あり、これまでは暗殺されたとする説が最も有力な説とされていたが、近年では大腿骨の骨折と脳性マラリアの合併症による体調不良の悪化が原因とする説が有力視されつつある。
その短い生涯ゆえに「少年王・ツタンカーメン」とも称される。
ツタンカーメンの時代にはファラオは盗掘を受けることを嫌い、王家の谷に埋葬されていた。それでもほとんどの墓が盗掘される中、ほぼ唯一ほとんど盗掘をうけなかったことで、黄金マスクをはじめとする数々の絢爛豪華な副葬品が発見されたことで有名になった。
王墓の発掘時、発掘のスポンサーとなったカーナヴォン卿が急死するなど発掘関係者が次々亡くなったという「ファラオの呪い」が噂されたが、メンバーの大半は高齢で発掘から大分時間が経ってからのことであること(1年以内に亡くなったのはカーナヴォン卿だけ)から呪いとはまるで言えないのが現状である。事実、関係者の多くは一部を除いて長生きしている。
人物
ツタンカーメン本人のミイラの詳細な調査により、身長は165cmで血液型はA型。かなり華奢な体格であることがわかった。さらに当時、エジプトの王族で盛んだった近親婚の影響で、生まれつき爪先が変形しており、左足の人差し指の一部がなく左足の骨の一部も壊死していて杖がなければ立つこともできないほどの障害があったが、反面自ら出陣しヌビアの反乱を収めたりヒッタイトとの戦いで勝利するなど活動的であった。
当時の彫刻では男性の王族が胸や尻の大きい女性のような姿で描かれているため、彼らには遺伝的な性ホルモン異常があったのではないかという説がある。
実際、本人のミイラの調査からも、ツタンカーメンは少女のような容姿だったという推測がなされている。
ただし、ツタンカーメンのミイラには正常に発達したペニスがある(しかも、天に向かって90度に勃起したような状態で保存されていたという)ため、彼が男性であったことは間違いないとされている。なお発掘時、性器は消失してしまったが後の調査の際、発見されている。
ミイラ
ツタンカーメンのミイラの保存状態は極めて劣悪な状態になっている。近年の研究によりミイラは埋葬してから間もなく特殊な方法の防腐処理によりミイラが自然発火して黒焦げになってしまった事が判明した。さらに発掘当時、ミイラを文化財として大事にしない風潮のため多くの外傷が付けられ切断された箇所もあり性器までもが消失している。ミイラは現在王墓内の展示ケース内にて保存されている。