概要
馬主、生産者は西山牧場。調教師は美浦の保田一隆。騎手は徳吉孝士→横山典弘。
屈腱炎による1年半の休養を経て、2001年の天皇賞(春)12着を最後に引退、種牡馬となる。
2011年死去。馬主の西山茂行がブログに思い出を綴っている。→セイウンスカイよ、永遠なれ…
JRAの「20世紀の名馬100」では第30位にランクインした。
日本競馬の最強世代とも言われる98世代の一頭。
雑草血統の生まれ、かつ弱小厩舎の所属という身の上でありながら、スペシャルウィークをはじめとする同世代のライバルたちとしのぎを削り、二冠馬となった優駿である。
大胆かつ自由奔放に走る個性的な逃げ馬であり、その強さもさることながら、芸術的ともいえる鮮やかな勝ち方が印象的な馬であった。
特に、98年の京都大賞典では年上のGIホース3頭を相手に20馬身の大逃げを打ち、3コーナーで早くも後続に捕まったかに見えたが、そこからの再加速で見事に逃げ切り、同日の毎日王冠を勝ったサイレンススズカとともに「日本競馬史上、逃げ馬が最も輝いた日」を演出してみせた。
続く菊花賞では、他馬を寄せ付けない圧巻の逃げ切りで、3000mの世界レコードを叩き出した。
菊花賞での逃げ切りは至難といわれるなか、歴史的名馬であるスペシャルウィークを相手に完勝したこのレースは、今でも菊花賞史上で最高の走りのひとつに数えられている。
翌年はGIレースでこそ勝利をあげることができなかったものの、日経賞では直線に入ってから後続をぐんぐんと突き放し、騎手が手綱を抑えるも0.9秒差の圧勝。さらに札幌記念では驚きの脚質転換で差し切り勝ちを見せるなど、変幻自在のレース運びは観る者を魅了した。
「芦毛の逃げ馬」というレアな存在だったこともあり、今でも人気は高い。
ただし、気分で走るタイプの馬であり、気持ちよく走っているときは驚異的な強さを見せたが、他馬にマークされるなどして気分を損ねると全力で走らなくなってしまうという弱点があった。
また、極度にゲート入りを嫌うことでも有名で、ゲートの前で何分も暴れて発走を遅らせた上に体力を消耗してしまうことがあった。これらは15年ほど後に出てくる彼と同じ芦毛で皐月・菊花の2冠馬・ゴールドシップも同様であった。
ウマ娘プリティーダービーではキャラクター化され、マイペースでゆるふわだがレースでは策士ぶりを発揮する美少女となってTVアニメにも登場している。→セイウンスカイ(ウマ娘)
血統
雑草血統から生まれた名馬の代表格とされる。
父・シェリフズスターは西山牧場が導入した種牡馬であったが、これが大失敗で、数百頭に種付けしたにもかかわらず活躍馬が一頭も出ていなかった。そのため、セイウンスカイがデビューする頃にはすでに廃用され行方不明となっていた。
セイウンスカイの世代にも27頭のシェリフズスター産駒がいたが、一応残された3頭を除く24頭はデビューすることすらできず処分されてしまった。その3頭のなかの一頭がセイウンスカイだったのである。
当然周囲からの期待はほぼ皆無であり、セイウンスカイを預かる予定だった栗東の調教師も結局引き取りに来ず、開業したばかりの新人調教師・保田一隆の厩舎に預けられることになったという経緯がある。
このような血統の悪さから予想されたとおり、競走馬としての高い能力は後天的に獲得したものであったようで、種牡馬としてはまったく成功できなかった。
しかし、同じ牧場のニシノフラワーとのあいだに生まれた娘ニシノミライの孫にあたるニシノデイジーは、これまでに重賞2勝の成績をあげている。
時は流れて…
2021年第82回菊花賞にて、タイトルホルダーがセイウンスカイ以来の逃げ切りで菊花賞を制した。
鞍上は横山典弘を父に持つ、横山武史。
序盤をハイペースで飛ばした後、中盤で後続を待つようにスローペースに落として息を入れ、終盤で再加速するという逃げ方も父とセイウンスカイの逃げにそっくりで、横山武史氏は父親の伝説的騎乗を完璧に再現し、タイトルホルダーを菊花賞勝利に導いた。
1000m毎のラップタイム | タイム | 着差 | 2着馬 | |
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セイウンスカイ(1998年) | 59.6 → 64.3 → 59.3 | 3:03.2 | 3.1/2 | スペシャルウィーク |
タイトルホルダー(2021年) | 60.0 → 65.4 → 59.2 | 3:04.6 | 5 | オーソクレース |