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高津臣吾の編集履歴

2021-12-03 09:13:18 バージョン

高津臣吾

たかつしんご

広島県出身の野球指導者・元プロ野球選手。現・東京ヤクルトスワローズ一軍監督。

経歴

1968年11月25日生まれ、広島県出身。


広島工業高校・亜細亜大学を経て、1990年オフのドラフト会議にてヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)から3位指名され入団した。

入団当時は先発投手として期待されていたが、野村克也監督のもと1993年より本格的に救援投手を任され、抑え投手として一時代を築いた。最優秀救援投手のタイトルは1994年、1999年、2001年、2003年の4回獲得。


  • 2003年シーズン終了後MLB挑戦を表明、2004年はシカゴ・ホワイトソックス、2005年途中以降はニューヨーク・メッツに在籍した。シカゴ時代は通算27セーブを記録。
  • 2006年シーズンより古巣・ヤクルトに復帰。2006年にNPB/MLB合計で通算300セーブを達成したが、翌年は怪我により戦線離脱となりオフに自由契約となった。
  • 2008年シーズンは韓国KBOリーグウリ・ヒーローズ(現・ネクセンヒーローズ)でプレー。18試合に登板し1勝0敗8セーブ・防御率0.86だったが、球団の経営戦略の関係でオフに退団となった。
  • 2010年は台湾CPBL興農ブルズ(現・富邦ガーディアンズ)でプレー。40試合に登板し1勝2敗26セーブ・防御率1.88だったが、オフに退団。
  • その後日本へ戻り、独立リーグBCリーグ新潟アルビレックスBCへ入団。2012年シーズンは選手兼任監督として指揮を執った。同年現役引退。
  • 野球解説者を経て2014年シーズンよりヤクルト球団に戻り、一軍投手コーチ・二軍監督を歴任。2019年シーズン終了後、リーグ最下位に終わった責任を取って辞任した小川淳司(現ヤクルトGM)の後任として一軍監督に就任した。1年目は最下位だったが2年目の2021年、6年ぶりの優勝・日本シリーズ進出を果たす。そしてオリックスを4勝2敗で破り、チームを20年ぶりの日本一に輝かせた。

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