平徳子は、平安時代の第80代・高倉天皇の中宮となった平家の女性。
第81代・安徳天皇の母。
父は平清盛、母は平時子。異母兄に平重盛、平基盛、同母兄に平宗盛、平知盛などがいる。
承安2年(1172年)、高倉天皇の中宮として宮中に入り、治承2年(1178年)、言仁親王(ことひとしんのう、後の安徳天皇)の生母となった。
寿永2年(1183年)、木曾義仲の京を攻略されると平家一門は安徳帝とともに都落ち、徳子も一門に従って西国に落ち延びた。
寿永4年(1185年)、壇ノ浦の戦いで平家一門が源範頼・義経率いる軍勢に敗れると、安徳天皇と平家一門は次々に入水、徳子もそれに従った。
が、すんでのところで源氏方に助けられ出家、戦いで散った平家一門の菩提を弔ったという。