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電波少年の編集履歴

2022-02-01 15:17:48 バージョン

電波少年

でんぱしょうねん

日本テレビで放送されたバラエティ番組

概要

1992年夏から「笑撃的電影箱」のコーナー「進!電波少年」として日曜日の夜に放送開始。1994年春に独立した。

開始当初は、松村邦洋松本明子が企業や政治家に"アポなし"で突撃するロケが中心だったが、後期は猿岩石が挑戦した海外をヒッチハイクで横断する企画が人気を博し、後にドロンズや朋友(伊藤高史、チューヤン)に引き継がれシリーズ化された。

1998年に番組名を「進!電波少年」に変更し、無名の若手芸人を中心とした長期企画がメインとなった。代表的な企画としてなすびの「懸賞生活」、Rマニアの「スワンボートの旅」、坂本ちゃんの「東大一直線」、矢部太郎の「外国人を笑わしに行こう」などがある。この時期には、「波少年」という兄弟番組も放送された。

最高視聴率は30.4%を記録し、一時期はお化け番組とまで言われるほど人気を博すも、後期になるとマンネリ化や新企画がヒットしない状況が続き2002年9月に終了することになった。

翌月に「電波少年に毛が生えた 最後の聖戦」へタイトルを変更して放送を続けるも、番組内容自体は変わらなかったため視聴率は上がるどころか悪化の一途をたどり、さらに番組内で不祥事も相次ぎ2003年1月11日で打ち切りとなった。これをもって11年続いた電波少年シリーズは終了した。


番組終了後

「最後の聖戦」終了後は、次の番組改編期の4月までのつなぎ番組として「雲と波と少年と」という電波少年シリーズとは無関係の癒し系ドキュメンタリー番組を放送した。しかし、この番組もスタッフの不祥事によりわずか6回で打ち切りとなり、次の新番組が放送されるまでの1ヶ月間は電波少年の総集編などを放送して凌いだ。


2021年1月より、「電波少年W」というタイトルで18年ぶりとなる電波少年シリーズが復活した。ただし、従来の過激な企画を行うのではなく、テレビ局の垣根を越えて各局のテレビ番組を制作するプロデューサーなどをゲストに迎え、昔の番組の映像を見ながらエピソードトークをするのがメインとなっている。そのため、各キー局の映像を使用するにあたりWOWOWで放送されることになった。同番組は約1年間にわたり放送された。


出演した芸人達のトラウマ「インペリアル・マーチ」

ダースベイダーのテーマとして定番の「インペリアル・マーチ」が、電波少年の演出兼プロデューサーであるTプロデューサー(土屋敏男)の登場シーンに使用されている。新企画を行う際に、ターゲットとなる若手芸人を連れ出す際に登場することが多く、大抵はアポなしで突然現れる。企画内容や詳細を一切言わず「行こうか!」とだけ言ってアイマスクとヘッドフォンを付けさせて車に乗せ、撮影現場まで連行するのがいつもの流れである。若手芸人はこれからひどい目に合うことが分かっていても企画を断ることもできず、大抵はTプロデューサーに対してトラウマを植え付けられる。

企画終了後もこの曲を聞くだけでTプロデューサーが現れるのではないかという衝動に駆られトラウマソングとなっているらしく、その後電波少年とは全く関係ない所で「インペリアル・マーチ」が聴こえただけで身構えてしまう事がしばしばあったという。そのトラウマレベルは街で携帯電話の着メロで「インペリアル・マーチ」が聞こえただけで戦慄したと語る芸人もいたほど。


外部リンク

その他、細かい詳細は外部リンク参照。


電波少年シリーズ(Wikipedia(外部リンク)


関連タグ

ウッチャンナンチャンのウリナリ!!…Tプロデューサーの担当番組つながり

水曜どうでしょう…アポなしや無茶振り企画など似たもの番組つながり

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