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長州力の編集履歴

2023-01-05 00:05:27 バージョン

長州力

ちょうしゅうりき

日本のプロレスラー。革命戦士。

藤波!俺はお前の咬ませ犬なんかじゃねぇぞ!


概要

1951年12月3日生まれ、山口県周南市(旧・徳山市)出身。当時珍しかったロン毛が特徴。

民族名は「郭光雄」。両親は朝鮮半島出身の在日朝鮮人であり、それに端を発する教師がらみのいじめ、破れた憧れの日本代表の夢、本国の同胞からの好奇と嫉妬の視線は今も長州の心に暗い影を落としている。


デビュー前には専修大学レスリングに所属し、ミュンヘンオリンピック韓国代表で出場した事がある。

1974年にデビュー。当初は通名(当時)の吉田光雄をリング―ネームにするが、後に故郷の山口県の旧律令国名である「長州※」と「力道山」を合わせた「長州力」に変更。ただし、この頃は中堅どころでパッとしなかった。

が、1982年藤波辰爾に対するマイクアピール-通称:かませ犬宣言で一気にブレーク。「名勝負数え唄」を展開した。


その後も選手・コーチ・プロモーター・団体経営者などとしてプロレス業界の中心的人物の一人であり続けた。引退をした90年代には坂口征二とともに選手を管理しブッキングを担当、新日本黄金期の立役者となるが自分がトップとして振舞うことは苦手であったようで、ジャパンプロレスおよびWJはその稚拙な経営によりいずれも短期間で破綻させてしまっている。

WJ崩壊後の新日本復帰以降はいわゆるレジェンド枠として、トップ戦線からは身を引き記念興行や単発興行等で客をわかせる役目が主だった。

2019年に2度目となる引退をした。年齢的なものもあり、今回が完全な引退とみられている。


※ 厳密に言えば、出身地の周南市は旧律令国では「長門」(ながと)ではなく「周防」(すおう)にあたる。そのため、より正確に反映させようとするなら「防州力」となってしまう。


備考

出場したミュンヘンオリンピックの日本代表には、後に大阪で激突する怪物ジャンボ鶴田がいた。さらに専修大の1学年後輩には吉田沙保里の父親がいた。


リングネームは「ファン公募で決められた」と言われているが、実際は「どれもイマイチだったので、猪木が決めた」らしい。また、海外遠征帰国後にリングネームを知らされた当人は「俺のレスラー人生終わったな…」と思ったとか。

なお、同じく時代遅れなネームに悩んでいた天龍源一郎も、この改名を知って同情したがその後の長州のブレイクで勇気づけられたと語っている。


タレント活動

全盛期の頃からテレビ番組によく出ていた長州だが、一旦レスラーとしての人気が衰えてから起こった長州小力のブレイクでファンに対する見方が変わったといい、それ以降からタレントとしての活動が増えていった。


2019年末には、広報活動を兼ねてかTwitterを始める。

ところがイマイチTwitterの特性を理解していないのか、何の脈絡もなく誰かへの伝言を書き込んだり、天龍源一郎のアカウントを教えてもらったのに何故か電話連絡をしようとしたり、遂には「🐍蛇」とだけ書き込んだり……と、独特すぎるセンスで立ち回り話題になった。

(半年ほど経った頃には、さすがに扱いに慣れてきた様子)

特に#(ハッシュタグ)をハッシュドタグと間違えて入力したことは、テレビのニュース番組にも取り上げられている。


引退後は本格的にタレント活動にシフトを移し、現役時代から有名だった独特の味とキレのあるパワーワードを連発してはお茶の間の腹筋を崩壊させている。

なお、引退してからもトレーニングはしており70歳の時点で「ベンチプレスが200kgしか挙がらねえ」と嘆いていたりする。


現在は自身のYoutubeチャンネル・リキチャンネルも開設し、日々更新を重ねている。

この縁で、サッカーくじ「MEGABIG」CMに出演している。


関連動画

入場曲「パワーホール」。携帯の着メロにしているプロレスファン多数。

作曲はあの平沢進と言うのは、結構有名な話。


関連タグ

長州小力 藤原喜明

消臭力(長州本人にちなみ、販売元のエステー会長が命名)

新人類

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