史実
竹中重治(たけなか しげはる)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初名は重虎、のちに重治。
「竹中半兵衛」の通称で有名。
戦国時代を代表する軍師として知られ、豊臣秀吉の参謀として活躍し、黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「二兵衛」と並び称された。
斎藤家に仕えていたが、主君であった暗君ぶりの斎藤竜興を見限って、一時居城の稲葉山城を占拠。
斎藤家を去って浪人状態だったが、織田信長の命を受けた秀吉の誘いを受けて家臣となった。
その後、秀吉の軍師として活躍したが、肺の病気で亡くなった。
「その容貌、婦人の如し」と記録にあるように、体が弱く見た目は痩身で女性のようであり、出陣するときも静かに馬に乗っているだけだったという。
ただし、個人的武勇が劣っていたかといえばそういうわけではなく、剣術も皆伝レベルの腕前だったとか。
戦国無双シリーズ
個別項目があります:戦国無双シリーズ
戦国BASARAシリーズ
豊臣秀吉の親友で、豊臣軍の最高軍師。
CV:石田彰
詳しくは→竹中半兵衛(戦国BASARA)
関連タグ
豊臣軍 友垣 秀吉親援コンビ 二兵衛 州・д・)人ζ・×・ζ
戦国大戦
「1560尾張の風雲児」では斎藤家時代の武将として参戦。レアリティはSS(戦国数寄)。
「1570魔王上洛す」では織田家武将として参戦。レアリティは最上位のSR。
他にもPixivコンテストから採用されたイラストのSS、EXキャンペーンで配布予定のEXと合計4種類存在する。
「今孔明」と称された逸話から、三国志大戦の諸葛亮を彷彿とさせる計略を使用する。
味方の数に応じて臨機応変に戦うことができるのは諸葛亮と同じだが、計略を使うたびに自分の兵力を失うという、元祖にはない特徴がある。早逝した史実を反映したためと考えられる。
織田家では織田信長を凌ぐ最高の統率力11を誇り、大筒の維持などで活躍できるが、武力が低いうえに計略で兵力を失いやすいため過信はできない。