天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、と言うが実際はどうであろうか
一万円札の顔を昭和59年以来、既に四半世紀以上つとめているため、日本中誰でも顔を知っている人物のひとりであろう。
概要
緒方洪庵に蘭学を学び、安政5年(西暦1858年)、江戸鉄砲洲(東京都中央区)で蘭学塾を開く。
英学の重要性を痛感し、英学をも修め、幕府使節に随行し、3度欧米に渡る。
慶応4年(西暦1868年)、蘭学塾を慶応義塾と命名し(慶應義塾大学の前身)、教育に力を注ぐ。
明治12年には西周・加藤弘之らと東京学士会院(日本学士院の前身)を創設して初代会長となり、同15年には『時事新報』を創刊。
日本人一人一人の「独立自尊」を唱えた。
適塾時代のエピソード
- 夏はふんどしもせず生まれたままの姿。物干し台で酒が飲みたくそこにいた下女(塾の女性スタッフ)達を塾友が清々しい姿を見せて追っ払う。ある時、階下から呼ばれたので、下女が呼んだと思ってクールビズで出たら緒方洪庵先生の奥さんだった。
- 牛鍋屋に豚の解体を依頼され、土佐堀川に沈めて窒息死させ皆で解体。お礼に頭をもらい解剖実験材料にした(後で食べた)
- 鯛の味噌漬とだましてフグを食べさせた
その他、数々のエピソードは『福翁自伝』(福沢諭吉の自伝)を参照
主な著作
『西洋事情』『世界国尽』『学問のすゝめ』『文明論之概略』『脱亜論』『福翁自伝』などがある。
特に有名な『学問のすゝめ』の序文は人権の平等を説いたものではなく、「天は(中略)作らずっていうけど、実際学問のある奴が偉くなったり金持ちになったりできるからおまいら学問しようず!」
てな意味で書かれたものである。
関連タグ
大隈重信:慶應義塾のライバル、早稲田大学の創立者。当人達の仲は良かったようである。
勝海舟:終生ソリが合わなかった相手。