概要
おそらく、日米のプロ野球史上、5本の指に入るほど偉大なピッチャー。
1989年のNPBドラフトでは史上最多の8球団(阪神タイガース、ロッテオリオンズ、ヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズ、福岡ダイエーホークス、日本ハムファイターズ、オリックス・ブレーブス、近鉄バファローズ)から指名を受け、最終的に近鉄が交渉権を獲得し、近鉄に入団。
ルーキーイヤーである1990年には、最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占し、ベストナイン・新人王・沢村賞・MVPにも輝いた。
だが、4年後の1994年の契約更改の際、当時の近鉄監督鈴木啓示ら球団上層部との年俸に関するイザコザがあり、彼自ら「任意引退」という形で近鉄を去った。
翌年の1995年、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、メジャー登板も果たした。
その後の遍歴↓
ロサンゼルス・ドジャース(1995 - 1998)
ニューヨーク・メッツ(1998)
ミルウォーキー・ブルワーズ(1999)
デトロイト・タイガース(2000)
ボストン・レッドソックス(2001)
ロサンゼルス・ドジャース(2002 - 2004)
タンパベイ・デヴィルレイズ(2005)
シカゴ・ホワイトソックス(2006)
カラカス・ライオンズ(2007)
カンザスシティ・ロイヤルズ(2008)
ドジャース、レッドソックス時代には、ノーヒットノーランも達成している。
プレースタイル
大きく振りかぶってから背中を打者に向ける独特の投法「トルネード投法」が彼の武器であり、代名詞でもある。