起源は国際寝台車会社(日本での通称「ワゴン・リ」社)により1883年に運行がはじめられたパリ ― コンスタンティノープル(イスタンブール)間の列車(当時は一部船舶連絡)である。その後、西ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ国際寝台車会社の列車群が「オリエント急行」を名乗るようになった。
第二次世界大戦後は運行区間を次第に縮小し、2009年に完全に廃止された。
現在はかつての国際寝台車会社保有車両等による「オリエント急行」を名乗る観光列車が運行されている。
フィクションではアガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」が有名である。
1988年にはスイス・インターフルーク社(現存せず)の所有車両がシベリア鉄道等を経由し来日、日本国内を団体列車として走行した。ヨーロッパと日本では軌間が異なるため、国内運行時は旧型客車用の台車に振り替えている。最終運行に際してはJR東日本が復帰させたD51形498号機が一部区間で牽引に当たった。