70年代後半から90年代前半まで毎年夏に放送されていた超大規模クイズ番組。
死ぬ気でジャンケンをし、泥んこを避け、ばら撒かれたクイズを拾いハズレに絶叫し、さらに恥ずかしい絶叫フレーズを叫び、通せんぼされつつ紐育を目指す。
歴史
初期
番組開始は1977年であるが、77年、78年の大会ではまだ試行錯誤の部分が多く、我々の知るアメリカ横断ウルトラクイズの形ができたのは1979年の第3回大会以降と言っていい。この第3回大会からメインテーマ曲がメイナード・ファーガソンの「スタートレックのテーマ」になり、放送回数も増え基本の形が整った。その後第6回大会から回答権獲得時のSEが今世紀最後まで使われた電子音になり、罰ゲームの過激度も上昇して80年代に知られたウルトラクイズが完成する。
中期
1983年の第7回大会、1984年の第8回大会は多くの名挑戦者を輩出した。特には第7回は歴代ベストの回と呼ばれ、泥んこクイズをドロップキックで通過した者、罰ゲームで不自由の女神と化した者など名キャラクターが多かった。第8回大会は唯一、後の大会に再度本選出場を果たした挑戦者を出した大会であり、2名の挑戦者が第12回でアメリカ大陸再上陸を果たしている。
後期
この時期の大会はひたすら規模の拡大が続き、いろいろな意味でスケールの大きな大会が続いた。1985年第9回大会ではパリを決勝地とし二大陸を制覇、1986年の第10回記念大会では中盤で南北二ルートに分かれ、南北を制したチャンピオンがニューヨークで対決するという趣向が施された。翌1987年の第11回大会は全大会唯一決勝進出者三名という大盤振る舞いがなされ(準決勝の敗者にも最後の贐として勤務先の東武デパートの社歌が演奏された)、さらに昭和最後の大会となった1988年の第12回大会では第7、第10回を超えてついに南北アメリカ大陸を縦断し、実に5万5千キロの旅路を旅することになった。そして平成最初の大会・1989年の第13回大会ではオーストラリア・ニュージーランドにまで上陸した。
名勝負も多く、中でも第13回の準決勝ボルチモアはウルトラクイズ史上最大の名勝負として名高い。また記録、記憶に残るエピソードや名挑戦者も多数輩出した。
末期
1990年代に入るとバブル経済の崩壊、司会者交代などのスタッフの入れ替わりによって目に見えてパワーダウンし、1992年の第16回大会を最後にレギュラー放送は終了する。1998年、今世紀最後として一度だけ復活したものの、大赤字を出し大失敗に終わり、以後復活していない。