ダビド・シルバ
だびどしるば
アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋上のスペイン領の群島であるカナリア諸島グラン・カナリア島アルギネグイン出身。父はアマチュアリーグでプレーしていた元サッカー選手、母は日系人(母方の祖母が日本人)である。
15歳の時にバレンシアの下部組織に入団し2004年にはエイバル(当時は2部)にレンタル修行に出される。翌シーズンにはセルタ・デ・ビーゴへ再度レンタル修行へ出され、レギュラーとして同クラブのUEFAカップ出場権獲得に貢献する。
その後にバレンシアに復帰しレアル・サラゴサへの移籍が決まったパブロ・アイマールから背番号21を引き継ぐよう指名された。その後から背番号は代表でもクラブでも21である。
復帰後はバレンシアの攻撃を牽引し、国王杯のタイトル獲得にも貢献した。2009/10シーズンには、リーグ戦自己最多となる8得点を記録し、バレンシアの3位フィニッシュにも貢献、UEFAヨーロッパリーグのヴェルダー・ブレーメン戦2nd Legでは1試合で3アシストを記録し、同試合でハットトリックを達成したビジャとともに、バレンシアのベスト8入りに貢献した。
2010/2011シーズンからはバレンシアの財政状況に伴い、マンチェスター・シティへ移籍。
攻撃時にあやふやなチームを引っ張り、クラブ史上初のUEFAチャンピオンズ・リーグの出場権獲得に大貢献した。
スペイン代表では2006年11月15日、ホームでのルーマニアとの親善試合でA代表デビューを飾る。
EURO2008では、、シャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、セスク・ファブレガスらとともに「クアトロ・フゴーネス」(4人の創造者たち)と称される中盤を形成、スペイン代表の44年ぶりのヨーロッパ制覇に貢献した。2010年W杯は自身の移籍騒動やコンディション不良により目立った活躍はできなかったが、以降も代表の窮地を救うプレーをするなど、代表でも中心選手として活躍し、EURO2012では全6試合に先発出場し2得点3アシストと大活躍し、主要大会三連覇に貢献した。
日系人の母を持つのでエキゾチックな甘いマスクのイケメン。しかし性格は優しく素朴で家族思いかつ端っこを好む好青年である。また試合以外は基本的にぽやぽやしており、普段は口が半開きである事が多い。
世界トップクラスの選手ながら私服が目を覆うほどダサい事で有名。記者から「私生活についてですが、好きなファッションブランドやこだわりはありますか?」と質問され、シルバは「えっと、・・・ZARA?」と回答し、会場中から笑いをこらえる声があがったというのは有名なエピソード。(ZARAはファストファッションの代表格。)
日本の女性ファンからは「シルバたん」の愛称で親しまれている。