剣(航空機)
つるぎ
概要
「我に剣を与えよ」 旧日本陸軍 山下奉文大将
キ115 「剣」(つるぎ)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に大日本帝国陸軍が開発した航空機であり、特攻兵器のひとつである。「剣」という名称はフィリピン防衛軍司令官に任じられた山下奉文大将による冒頭の演説にちなんで名付けられた。設計者は青木邦弘(中島飛行機)。
キ115は帝国陸軍における名称であり、エンジンをハ33(金星)に換装した海軍型は「藤花」(とうか)の名称で呼ばれる予定になっていた。
1945年(昭和20年)1月20日試作開始、同年3月5日に1号機が完成、審査と並行し量産が行われたが、記録上、実戦では使用されず終戦を迎えたとされる。終戦までに105機が生産された。
特徴
大戦末期の資材不足の時期に開発されたため、当時不足していたジュラルミンやアルミを使わず鋼や木材の利用、極力簡易に製作できるよう、胴体断面に楕円形ではなく成形しやすい真円にする他、構造も可能な限り簡素化・単純化するなど設計時点で量産のための工夫が行われていた。発動機は当時余剰のあったハ115/栄(1150馬力)の搭載が予定されていた。
なお機体性能、操縦性は劣悪そのものであり、陸軍による性能試験では上昇、直進飛行中に横滑り(スリップ)を起こす他、離着陸不良、重量過多も指摘され、実践投入には相当な改良を要す、と判断されている。(これらの条件を抱えつつ採用されたことからも、大戦末期の日本の逼迫した戦況が窺える)
機体運用は単座爆撃機として、固定脚は離陸後、もしくは戦闘前に投棄、戦闘後は胴体着陸により発動機及び搭乗員のみを改修するという計画であった。しかし前述した機体性能、さらに同時期には多数の航空機が特攻機として運用されたこと、海軍名称に特攻機であることを示す「花」の文字が含まれていることなどから、「剣」も実戦で使用された場合は体当たり攻撃を前提として運用されたと考えられる。