さみながとは、艦隊これくしょんにおける五月雨と長波のカップリングである。
主に無想りんね氏が推進している。
概要
それはニコ動においての氏の動画投稿が発端である。
【ニコニコ動画】【#WATD】WE ARE THE DESTROYERS #1
その他TwitterやPixivにおいても氏のまとめた画像が公開され、長波のカップリング対象として、五月雨が候補に挙がるようになった(記事のメイン画像はそのひとつ)。
もちろん艦これ内においてお互いの言及はなく、掘り下げなければ、ただ良さそうな組み合わせを描いただけの二次創作にとどまってしまうところであった。
だがそこは交友関係の広い長波のこと、五月雨とのつながりはしっかり史実においても存在していた。しかもカップリングの根拠とも言えるほどの大きな関係なのである。
史実でのふたり
馴れ初めとキスカ
最初、第三次ソロモン海戦において五月雨が主力部隊の直衛、長波が輸送部隊の護衛といった形で別々の行動で参加はしていたものの、直接顔を合わせる機会はなかった。
そんなふたりが出会ったのは1943年の5月、横須賀に向かう戦艦や空母の護衛を行う部隊としてのことである。本土に戻ったのちにふたりとも北方部隊の支援要員として転属し、共だって任地に赴いて、すぐに北方での任務に従事することになる。
このふたりの組み合わせはキスカでの撤退作戦を終了するまで続き、特にキスカ撤退作戦そのものの書類上の部隊編成においては五月雨と長波のみの組み合わせで記述されており、キスカで初陣を飾る島風よりも名目上行動を共にする機会が多かったと思われる(実質は三人で組んで行動していたようであるが)。
ただし長波は6月1日の補給作業中に起きた故障不具合により、1か月ほど北方を離れているため、実際に一緒に動けたのはキスカ撤退作戦が展開されていた7月の間だけだった。
その後
お互いの所属する軍港にて入渠し、9月に完了してからは、それぞれ別働にて南方に向かうことになり、五月雨は同型艦である白露や時雨と27駆逐隊所属となり、長波は31駆逐隊に復帰しそれぞれで行動するようになる。
途中別部隊ではあるものの11月2日のブーゲンビル戦に参加し、11月11日のラバウル空襲にて長波が大破し、彼女がラバウルで応急修理中にブーゲンビル戦で損傷した五月雨が本土に回航、そののち長波もまた本土に曳航される。五月雨はその次の年初めには復帰し、27駆逐隊のメンバーとともに南方の激戦に参加していくことになる。
長波が復帰し、お互いが顔を合わせられたかもしれないのは1944年7月9日に第二艦隊の主力を護衛する際。五月雨は呉の出発だが、長波は九州の臼杵湾からの合流である。長波は一時別任務で離れ、そのままリンガ泊地で合流。以後、五月雨が沈む8月26日までの話となる。
余談
なお、長波がレイテから多号作戦で沈むまで一緒に行動する朝霜の艦長は、五月雨の艦長をしていたことがあり、その五月雨艦長時代に第二次ベララベラ戦の功績によって恩寵の短刀を賜った杉原与四郎中佐である。
また、長波あこがれの二水戦司令官田中頼三少将が、第二駆逐隊司令時代のときに乗艦していたのが五月雨である。
史実を元に妄想できるさみなが
キスカ撤退作戦に参加したときの五月雨は、同じ部隊の姉妹艦である夕立・村雨を喪失し、春雨も大破し修理のために舞鶴に入渠していたためにひとりぼっちの状態だった。
そんな心細い五月雨が単独行動として北方に向かうときに、その寂しさを汲んで力になってあげていたのが長波ではないだろうか(なお長波はルンガ沖で高波を失い、巻波は修理中だったが、大波・清波の2隻が補充されており、五月雨に会うまではその新しく配属された妹への対応をしていたと思われるため姉妹艦という意味で逆に大変だったと思われる)。
ラバウル空襲において、五月雨側から被弾する長波の姿が確認されているが、このときの五月雨はブーゲンビル戦の損傷(それは下手すると沈んだかもしれないほどのレベル)があり、五月雨を先に逃がして長波が被弾したのではないか。彼女が被弾したのは脱出を終えたかどうかくらいのころであり、記録では岬の沖4kmほど外に出ていたところだったという。
五月雨とリンガ泊地に向かう道中で再会ののち、ひと月半ほどで五月雨はそのドジっぷりが災いして座礁、沈没することになるのだが、スコールで迷子になるエピソードを聞かされたりなど、長波は前々からドジっ子の五月雨を知っていたとはいえ、そのことを責めつつも哀しみにくれていたと思われる。
さみながにからむ艦娘とのお話
※注 さみながフィルターが入りまくってます。
・島風
島風とさみながはキスカ島撤退作戦からずっと深い縁のある間柄である。
彼女の初陣はさみながと同じ警戒隊としてのものであるが、さみながの二人の仲にまじる感じで島風が撤退作戦に加わってくるようなもの、厳密に島風と長波の交流が出来上がるのはキスカを終えてから南方に向かうあたり。再会してから南方に向かうときにゆったり話をしたと思われる。
だが、やや頼りない五月雨が27駆逐隊再編であの時雨と出会うまでは、島風よりは五月雨との関係のほうが長波にとっては大きいと言えるものである。
リンガ泊地へ赴く際は、すでに五月雨の同型艦は時雨だけになっていて、彼女も含めた4人組としてのつながりもまた、五月雨が沈むまでの間において欠かせない組み合わせであろう。
・時雨
五月雨と同じ白露型として、27駆逐隊再結成時に共に戦うことになる。
五月雨は半年以上同型艦(24駆逐隊の3隻とは実質ほぼ違う艦型であるために、一緒の部隊にはならなかった)が身近におらず、白露・時雨とのめぐりあわせは彼女に大きな活力を与える。第二次ベララベラ海戦、ブーゲンビル沖海戦のそれぞれにおいて、五月雨が27駆逐隊の面々とともに挙げた戦果があり、長波はこれを見守る形であったと言える。
五月雨がこのめぐりあわせにたどり着くまでに一緒にいてくれた長波へ送る戦果、というのは言い過ぎだろうが、少なからず時雨たちに会うまでの五月雨をケアしたことについて、時雨からお礼があったのは間違いないだろう。
・夕張
夕張が魚雷を受けて沈みかけている際、なんとしてでも夕張を助けようとしたのは、彼女が自分と長波の恩人だからである。
11月11日のラバウル空襲で大破した長波をトラックに運ぶことになるのは12月に入ってからで、その前の11月24日に夕張は空襲を受けて損傷。長波の曳航自体は水無月が行ったが、その護衛に夕張がついている。その際3度の空襲を受けており、夕張は長波を「体を張って」護衛をしたことになる。
トラックに退避し、修理のために本土に回航する五月雨自身の護衛も夕張が務めていた。
そういった経緯もあって、自分と長波のために尽力してくれた夕張を意地でも救おうとしたのは道理ではないか。
つまりのまとめ
五月雨にとって、長波は自分が辛かったときに助けてくれた恩人である。
艦娘になってから恩返しをと交流して、より長波に思いをはせるようになったのは当然のことではないだろうか。
劇的なエピソードがあるわけではないが、じっくりと関係を積み重ねてきたふたりなのである。
まとめのまとめ
艦これ内でのお互いの言及がないのでほぼ史実を限定とした根拠のふたりであるが、逆に言えば史実から見ても切っても切れない間柄であり、本家においてどこかで言及があってしかりなところがあるため、そういった展開が期待される。
関連イラスト