岡田有希子
おかだゆきこ
1967年8月22日に生まれ、1986年4月8日に死没。
愛知県出身。愛称はユッコ。本名は佐藤佳代(さとう かよ)。
中学生の頃から各種オーディションを受けるようになり、『中学生日記』に出演していたこともあった。
高校入学直前に当時放送されていたオーディション番組『スター誕生!』に出場。家族の反対やデビューに関する厳しい条件を乗り越え、1984年にサンミュージックから歌手デビューした。
歌手としては多くの新人賞を受賞し、デビュー曲を始め11曲を竹内まりやが手がけるなど「ポスト松田聖子」の筆頭として大いに注目された。また、ドラマ出演など女優活動も行い、1985年には『禁じられたマリコ』で主役を務めた。
1986年に松田聖子作詞・坂本龍一作曲という鳴り物入りのシングル曲『くちびるNetwork』がヒットする。しかし人気絶頂期の1986年4月8日、自宅のマンションでガス自殺未遂を図るも、ガス臭に気付いた住民から通報され、一旦は自宅に近い病院で治療を受ける。しかし病院から戻った直後、事務所の入居するビルから飛び降り自ら命を絶った。 享年18歳。
自殺の原因は不明で、憶測が様々に取り沙汰されたが、生真面目で努力家な性格であった反面、精神的にやや不安定な部分があったことが後に事務所幹部などから語られている。
才能はあったがストレスフルな芸能界や世間の重圧に耐えられないという意味ではアイドルに不向きだったのかも知れない。
トップアイドルの自殺とあり連日ニュースはもちろん、音楽番組などでも大きく報道されたが当時はマスメディアの倫理感覚も今以上に不十分な面があり、彼女の遺体の映像を撮影して放送するなどの暴挙を行った番組などもあった。
このこともあり若者が彼女の後を追って自ら命を絶つ事件が連続して発生。この自殺は『ユッコ・シンドローム』(もしくはウェルテル効果)と言われ、大きな社会問題となった。
岡田の自殺は多方面に影響を与え、当時おニャン子クラブが全盛期だったこともあり「岡田の自殺はプロのアイドルの時代が終わった瞬間」と評する人も多い。そのおニャン子も1987年に解散してしまうため、以降のアイドル一大低迷期(アイドル冬の時代)を生む一つのきっかけになってしまった。
命日である4月8日には、岡田の墓と四谷にあるサンミュージックの事務所前には多数の献花が備えられており、その様子は毎年マスメディアで報じられる。
この影響から、当時を知らない平成生まれのアーティストでも岡田のファンを公言する人が出て来るほど。
有名人のプロマイドを発売するマルベル堂でも、2013年の時点でも岡田のプロマイドはコンスタントに売れていることを明らかにしている。
同時期に活動していたアイドル(中森明菜、小泉今日子、荻野目洋子など)も後年岡田について言及することがあり、彼女の死の影響力の大きさがうかがえる出来事といえよう。
同学年の南野陽子は「誰かと結婚したわけでもない。劣化したと思われることもない。絶対に裏切らない、永遠の18歳だから」と評し、竹内は「『さぁこれから』という時にたった3年で姿を消した歌手というのは空前絶後。」と評しており、自殺したゆえに伝説となった稀有な存在といえよう。