平沢 勝栄ひらさわ かつえい
1945年9月4日 -
日本の政治家、元警察官僚。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。
政策・主張
自民党遊技業振興議員連盟(パチンコ議連)の事務局長を務める。警察官僚時代はパチンコ店のCR機導入を推進しており、パチンコ業界に太いパイプを有する。
外国人労働者の日本への受け入れや永住資格の付与を主張し、1000万人の移民受け入れを主張した自民党の外国人材交流推進議員連盟の提言に賛成している。
自民党所属議員であり東京に選挙区を持ちながら、自公連立政権には極めて否定的であった。
2000年の第42回衆議院議員総選挙に際しては、自由民主党幹事長の野中広務から、公明党批判を一切行わない旨の誓約書を提出するよう求められ、自民党の小選挙区候補者で公認が内定したのも最後であった。
平沢は選挙戦中から盛んに公明党を批判し、公明党も平沢を落選させ山口那津男を当選させるべく、猛烈な落選運動を展開したが、両者の「与党対決」は平沢が勝利した。
北朝鮮による日本人拉致問題に関し、拉致議連には草創期から関わっていた。
2004年4月、山崎拓が極秘に訪中し、拉致問題について北朝鮮高官を相手に直接交渉した際、山崎に同行した。
山崎、平沢の行為は「二元外交」であると批判され、平沢は総務大臣政務官、拉致議連事務局長を辞任に追い込まれた。
平沢は「半年後、一年後に同じ質問(「二元外交ではないのか?」という質問)をして下さいよ」と答えたものの、それ以上は語らなかった。
外国人参政権、人権擁護法案に反対している。
2008年から、自民党のマルチ商法疑惑追及プロジェクトチームの座長を務めている。
在日コリアンの発展を目的とするコリア国際研究所の会員である。
日本は先進国の中でも児童ポルノ大国で無法地帯になっているという発言をしているが、2011年の国別世界児童ポルノサイト数調査で日本は15位であり世界の児童ポルノサイトの内日本にあるのはわずか0.16%、また2011年児童ポルノサイト訪問者数調査で日本は17位であり世界の児童ポルノサイト訪問者数の内日本人の訪問者はわずか1.17%であり、決して日本は児童ポルノが無法地帯になっているわけではない。
人物
学生時代、小学生だった安倍晋三の家庭教師を務めた。当時、安倍家の冷蔵庫を勝手に開けて色々食べていたらしい。
警察庁の先輩である佐々淳行によれば、平沢のかつての上司である後藤田正晴は「燻し出されたタヌキみたいな顔」「早口で日本語で何をいっとるかさっぱり分からん。
英語を喋らせると少し分かる」「平沢は英語は上手いぞ。日本語より上手い」と他の部下に対してと同様、平沢に対しても毒舌だったが、これは後藤田の部下統率術であり、部下としての平沢には信頼をおいていたという。
自公連立政権に一貫して否定的であるため公明党・創価学会からの支援を受けにくい事情があるにもかかわらず、東京都選出の自民党議員の中では一二を争う強固な地盤を誇り、09年総選挙を除き対立候補に比例復活を許していない。
民主党の河村たかしとよく一緒にテレビに出演し、河村から平沢の兄貴と呼ばれた。
物事を話す際に、手を手刀のようにまえに突き出す癖があり、よくネタにされた。
有吉弘行のあだ名シリーズで、「エロカマキリ」と命名された。
亀田興毅・亀田大毅を応援し、亀田家から応援されていたが、亀田家の一連の問題の後は距離を置いている。
安倍内閣で内閣府副大臣に就任した際、半ば自嘲的に「内閣「不服」大臣」を名乗った。
政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。
2020年、菅義偉内閣にて復興大臣として初入閣。