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馬超の編集履歴

2010-06-20 12:01:32 バージョン

馬超

馬超とは、中国後漢末から三国時代に活躍した武将将軍。字は孟起(もうき)。諡(おくりな)は威侯。

後漢の名将馬援の子孫。父は馬騰。弟に馬休、馬鉄、従兄弟に馬岱がいる。

また小説『反・三国志』においては馬雲騄という妹がいる。妻は楊氏、側室に董氏がいる。

劉備に仕えた武将。

小説三国志演義では、その雄姿から「錦馬超(きんばちょう)」として称えられ、

五虎大将軍の一人に選ばれたとされている。


概要

[正史]においては、剛力の持ち主で若い頃から勇名をはせていた。

鍾繇の要請を受け、部下の龐徳と共に兵を率いて、郭援・高幹・呼廚泉

討伐することとなった。鍾繇・龐徳らと共に郭援と戦い、足に矢を受け

負傷したが、その足を袋に包んで尚も戦い続け、戦いに勝利し、龐徳が

自ら郭援を討ち取った。


馬超は時の朝廷の権臣曹操と敵対し、韓遂らあわせて十部隊らと共に兵を

挙げ、馬超は十万の軍勢を率いて黄河、潼水の地に布陣した。曹操もまた

夏侯淵曹仁らを率いて馬超らと対峙した(潼関の戦い)。

最初こそ破竹の勢いで曹操軍を上回り、曹操自身も命の危険にさらされた。

しかし、次第と戦況は膠着し、曹操の参謀・賈詡の離間の計で韓遂と仲違いし

大敗。そして、この反乱が原因で、馬騰、馬休、馬鉄らは処刑される。


涼州刺史の韋康を殺害、冀城を冀城を奪って抵抗を続けるが、楊阜らの計略で

駆逐され妻子を失う。張魯を頼って落ち延びた。その後失地を回復しようと

試みるが、韋康の旧臣、趙昂・王異夫婦の抵抗に遭い、失敗した。


張魯の傘下から劉璋を攻めていた劉備を頼って帰順した。劉備が漢中王になると

左将軍・仮節に昇進し、 さらにその後には驃騎将軍・涼州刺史になるが、翌年

亡くなった。


[演義]においては、蜀の五虎将軍の1人として数えられて、ただ猛将だけでなく

容姿端麗な為に「西涼の錦馬超の異名をとる。


基本は[正史]通りの活躍をしているが、曹操に対する挙兵のタイミングが異なっている。

[演義]では、曹操暗殺計画に加担していた馬騰を、曹操が一族と共におびき寄せ、

謀殺された。そして馬騰の義兄弟だった韓遂と共に復讐戦を挑む事となった。

[正史]とは、逆の順序となっている。

その後、張魯の傘下で劉備軍と戦い張飛と激しく打ち合うが、李恢の説得に応じて

劉備陣営に加わった。そして、劉備帰順後は程無くして死去してしまう。

逸話

「西涼の錦馬超」の由来としては、「顔の色冠の白玉の如く、眼は流れる星の如く、

唇は紅をさしたようで虎の如き体躯猿の如き臂、腹は彪の如く腰は狼の如き」

というように形容されている。


大変な猛将と知られている馬超であるが、若い頃、韓遂の部下の閻行と一騎打ちとなり、

負傷し、殺されそうになったことがある。

また曹操に敗戦こそしたが、部下の楊阜が、「馬超は韓信・黥布のような武勇を持ち、

羌族に心服されているので、警戒を怠ってはなりませぬ」と進言し、曹操ももっともだと

答えたとされ、敵将からも十分な評価を得ている。

劉備は馬超の来降を聞くと、「私は益州を手に入れたぞ」と言って喜んだ。そして、

馬超が劉備に帰順したという噂に恐れをなした劉璋は程なく降伏した。

登場作品ごとの馬超

真・三國無双』シリーズにおける馬超

声:服巻浩司

武器:(~『4』)、大剣(『5 Special』以降)

情熱的で実直な性格として描かれた若武者。己が信じた正義のために戦う。

容姿は『4』まで、獅子またはをモチーフとしたを着用している。

この兜は、シリーズごとに大きくアレンジされており、乱髪兜のようなもの

もある。それ以外は特に差異のない姿をしている。

『5』以降では、それまでと大きくデザインが変更され、頭部の兜が無くなり

鉢金のようなものに変わった。鎧も体にフィットさせたようなデザインとなった。


三国伝』における馬超


こちらを参照


一騎当千』における馬超


こちらを参照


恋姫†無双』シリーズにおける馬超


こちらを参照


関連タグ

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