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大淀の編集履歴

2014-08-10 06:13:27 バージョン

大淀

おおよど

日本海軍の軽巡洋艦の一つ。 帝国海軍の軽巡最後の艦型にして、連合艦隊最後の旗艦を務めたことで有名である。

この軍艦をモチーフにした、『艦隊これくしょん』の登場キャラクターについては大淀(艦隊これくしょん)を参照。


概要

大淀とは、日本海軍軽巡洋艦の1隻。艦名は宮崎県の大淀川に由来する。

第二次世界大戦直前、日本海軍が構想していた甲乙丙の3種の巡洋艦のうち、重巡洋艦の甲・水雷戦隊旗艦の乙と並ぶ、潜水艦の集団「潜水戦隊」を率いる丙巡として建造された。

姉妹艦として「仁淀」が予定されたが、大戦勃発で未建造のため、同型艦は無い。

特徴

大淀は従来の軽巡とは全く性格が異なり、直接敵艦と戦うのではなく、比較的距離をおいたところから、視界の狭い潜水艦に代わって航空偵察を行い、通信で指揮を執ることが想定されていた。そのため、装備の中心は6機の高速水上偵察機「紫雲」(とそのための大型格納庫・大型カタパルト)と司令部施設(通信設備は正規空母・戦艦に匹敵するクラス)であった。いわゆる航空巡洋艦に数えられる。日本海軍の(空母以外の)艦艇で格納庫を持つものは珍しく、同じ航空巡洋艦の最上利根も搭載機は吹さらしである。ほかに格納庫を持つのは、主砲の大威力で搭載機も壊してしまう大和型戦艦、空母に準ずる伊勢型航空戦艦ぐらいで、大淀がいかに搭載機を重視しているか分かる。


また大淀は通信・航空設備がクローズアップされることが多いが、強行偵察任務という目的から軽巡としては非常に優秀な性能を持つ。

公試成績では35.5ノット(一説では安定して39.5ノット出せたとも言われ、戦闘中に45ノットを発揮したと言う話もある)、航続距離はなんと10180海里(最初の計画では8700海里であったが、帝国海軍軽巡洋艦最長の192mの船体やバルバス・バウの採用で水の抵抗が予測値より減ったためとされている)。

阿賀野型と並んで、この艦も日本海軍の軽巡の一つの完成形であると言えるだろう。


武装

任務の性格上大淀は対艦戦闘に重きを置いてはいない。武装は船体サイズの割に控えめで、主砲は15.5センチ砲3連装砲2基6門(大和型の副砲と同型である)、副砲として10cm連装高角砲を4基8門、25mm3連装・単装対空機銃で、魚雷は装備していなかった(※但し、対空戦闘においては当時最新式の副砲や機銃に加え、主砲の15.5cm3連装砲も遠距離目標への対空射撃が可能だったため軽巡としては破格の対空能力を持っていた)。

また、日本海軍内では魚雷発射管を持たない唯一の軽巡である。


戦歴

1943年2月28日竣工。しかし戦争の様相の移り変わりのため、潜水戦隊旗艦として働くことはなく、輸送任務などにあたっていた。「紫雲」も不作でせっかくの搭載施設も生かせない大淀は図体の割に攻撃力の乏しい軽巡洋艦で、使いどころに困る存在であった。


その大淀に、軽巡としては異例の連合艦隊旗艦という任務が回ってきたのは、戦局が逼迫する状況で、有力艦を旗艦任務につけて遊ばせておくわけにはならない必要に迫られたからである。軍司令部は大淀の通信能力の高さに着目し、潜水戦隊司令部とはケタ違いの規模を持つ連合艦隊司令部を載せるために改装、せっかくの大格納庫は司令部に転用された。

その旗艦任務も連合艦隊司令部が陸上に上がったため比較的短期間(半年弱)に終わり、大淀は一軽巡洋艦として、レイテ沖海戦・礼号作戦・北号作戦に参加。

レイテ沖海戦では小澤艦隊に所属し艦隊旗艦の瑞鶴沈没後、持ち前の通信能力の高さを生かし旗艦業務を引き継いだ。

礼号作戦では爆弾2発が直撃、うち一発は機関室に飛び込むも、空中で信管が外れていて不発で、難を逃れた。

北号作戦では制海権を握られた状態ながら貴重な物資を本土へ輸送することに成功する。(この時既に不要になった司令部施設を改装、以前の格納庫に近い状態にして物資を詰め込んだ)

いずれの海戦もほぼ無傷で生き残り、その強運さは海軍でも有名だったものの、北号作戦後はまともに動かす燃料の確保さえ難しくなり、練習艦に格下げされた後、最期は1945年7月28日に呉で爆撃を受け、転覆着底した。その日は就役してからちょうど2年5ヶ月目のことだった。


関連タグ

軽巡洋艦 連合艦隊 旗艦


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