宇都宮広綱(史実)
宇都宮広綱(1545年 - 1576年8月30日)は下野の戦国大名で、宇都宮氏二十一代当主。
父尚綱が那須氏との戦いで戦死した時まだ5歳であったため、居城である宇都宮城を家臣に奪われ、重臣の芳賀高定と共に落ち延る。
その後は高定の補佐を受けて父の仇である那須高資を殺害し、さらに宇都宮氏に反抗的だった家臣を排する。
その後高定の尽力により常陸の佐竹義昭の次女を妻に迎え、婚姻同盟を成立させる。佐竹氏の助成を得て宇都宮城を占拠していた壬生綱雄ら家臣を追い出し宇都宮城への帰還に成功する。父の死より8年経った後であった。
以後は北関東に圧迫を強めてきた北条氏と対立。上杉謙信が関東に進出してきた時はこれと結び、謙信に背いた佐野昌綱の説得と助命嘆願を義昭と共に行っている。
謙信が北条氏と和した後は手を切り、佐竹氏と連携しながら一時北条氏の傘下に入りながらも独立を維持した。
その治世は比較的安定していたという。
1576年8月7日、病のために32歳で死去。
晩年はずっと病床に伏していたとされ、その死が秘匿されていたという説もあり実際の死亡年は前後する可能性がある。
関連タグ(史実)
宇都宮広綱(戦国BASARA3)
概要
霧に包まれた神流川の武将。
霧や虎を使い、孫子の「戦わずして勝つ」方法を編み出したが、しばしば自軍を不利にしてしまっている。
物覚えが悪く、迷うとすぐに考え込んでしまう。よく「考える」という言葉を使うが、考えるのは苦手。
霧を出すと自分も前が見えない。氷属性だが実は寒がり。
モーションは槍兵のものを流用している。
ぶっちゃけ虎の方が目立ってる気がしなくもない。