愛称は「アキラさん」。父は宇宙戦艦ヤマトなどの楽曲を手がけたことでも有名な作曲家の宮川泰(みやがわ ひろし)。
クラシック界をロックンロールに駆け抜ける風雲児。日本が世界に誇るマエストロ。
音楽だけに留まらず、絵画・顔芸・お笑い・パントマイム・首振りパフォーマンスなど、その天才的な才能からありとあらゆる芸術分野にて活躍。
全身で表現するような独特のトーク技術など、指揮や作曲以外にも視聴者を楽しませている。
近年では、乳幼児層やその親世代である主婦層からの支持も高い。
また、一時期世間をわかせたマツケンサンバⅡの作曲も手がけている。
音楽に対する熱意
クラシック界へ
中学、高校時代は音楽に対する憧れを抱いていた模様。中でもきっかけとなったのは、『ウエスト・サイド物語』で演奏された音楽であると言う。自分でも、こんな音楽が作りたい、という思いからクラシック音楽関係の勉強に打ち込み始めたと当人は語っている。最初こそはクラシック音楽に対して〝好き”という感情よりも、〝ロックを作る為の勉強”といったもので、あまり関心は抱いていなかった。
しかし、クラシックを学べば学ぶ程、次第に音楽の中に隠れている作曲者達の想いと言うものを理解できるようになったと言う。同時にこういった学んできたことを、他の人に対して「こんな素晴らしいものを、是非伝えたい」という思いがある。一例として、「題名のない音楽会」ではベートーベン作曲の「運命」を深読みしており、歌詞の無い楽曲に対して意味を持たせるなど、視聴者からの関心を集めた。
舞台にタンゴ
時には、井上ひさしが手掛けた舞台『ムサシ』において、宮本武蔵と佐々木小次郎の話の音楽を担当していたが、そこで来場者の予想する斜め上を行った。稽古する場面(半ば踊りであるが)の音楽で、まさかのタンゴを演奏したのである。時代劇にタンゴ、という異色の組み合わせだったが、これが予想以上に来場者の好評を得た。外国でも公演されたが、全ての会場でタンゴのシーンに爆笑(良い意味で)してもらったという経緯がある。また、井上ひさし氏本人からも、「どうして分かったの?」と言わしめるほど、評価されていた。
オペラへの挑戦
またロック、クラシックと来た後に、今度は「オペラをやってみないか」という声があったらしい。これに対して宮川彬良氏は、「オペラは世界が違う。僕はミュージカルだから」という理由でオペラの音楽は固持していた。
それが実際に作ってみると「こんな面白いことは無い」と気づいて、オペラ音楽も挑戦してみたいとの意気込みを持ったということである。現在もなお手塚治虫氏の作品ブラック・ジャックのオペラバージョンを作曲中との事。その作曲する風景も実に楽しそうで、宮川彬良氏自身が身体で表現したり歌ってみたりと、オペラを断っていたのとは180度打って変わっている。
このように、次第に音楽の幅を広げているだけではなく、その想像の幅までをも広げ続けており、演劇などの台本を見た途端に「この台本は他人事には思えない」と言って次々にアイディアを出している。
トーク
なお「クインテット」では一切喋らずに曲を弾くだけだっただけに、「題名のない音楽会」といった音楽番組での宮川トークは強烈である(面白い意味で)。ユーモアの含んだその会話は、父親の遺伝を受け継いでいると言っても過言ではなく、時には司会者の立場を無くしてしまう程に話しを展開してしまったとか。
指揮
トークで飽きさせない彬良氏だが、指揮する時も観客を飽きさせない。コンサートで指揮をする時、ノリの良い曲(マツケンサンバ等)を弾いている時は、指揮しながら腰が踊っていたり、身体全身が大げさに揺れるように指揮をしたり、全身硬直させて手首だけ味気無さそうに指揮したりと、バリエーション多彩な動きを見せてくれる。
おかっぱ
いまや宮川彬良のトレードマークにもなっている、おかっぱ頭と、黄色いメッシュ。
オーケストラの指揮をする際、首を大きく振るのが彼のスタイルだが、首を振った際に美しく見えるよう、長さ・形・色など、すべて計算しつくしてある。
時に少年少女で構成されるとある合唱団との組み合わせで行われたコンサートでは、メンバーの少女が「なんで髪の毛の一部が黄色いんですか?」と尋ねられると、「指揮者は背中をお客さんに見せっ放しだから、頭を振った時に髪の毛が鮮やかに見えるようにしているんです(←憶測)」というような返答があった。やはり、計算しているのである。
また、ピアノを弾く時には度々その髪が顔に被さり、邪魔になって振り払う動作が見られるが、これもまたパフォーマンスにつながっており、下を向く→邪魔になる→首を振る→ウケる
…なんという確信犯。
ベスト
指揮者と言えば、かっこいいベスト。彼のベストは決して貸衣装ではなく、全て自前。
コンサートの度に新調してもらい、その全ては「ド派手」である。
演奏中、聴衆からは背中しか見えないため、特にベストの背中部分は派手に作ってあるとか。
宇宙戦艦ヤマト2199
近年にリメイクされた宇宙戦艦ヤマト2199に、父親の跡を継ぐようにして参加。ただし、譜面が一切残っていなかったらしく、録音されていたものを自分のみ見て聞いて、直接譜面に書き起こしたと言われている(耳コピ)。その数も途方もないもので、本人も「こんなにいるの?」と呟いたほど。ヤマト音楽のコンサート(2012年)では、ヤマト2199の為に約1000曲(1000曲を超えてはいないが、それに近い数である)もの曲を耳コピで書き起こし、或いは新しく作曲したと語っている。
作曲に当たって
本人曰く、ヤマトに関する曲を書き起こしていると「亡き父親から教えを乞うている」と感じていた様で、コンサート会場でもその様な話が持ち上がっている。ヤマトの音楽を手掛ける事は、ある種の使命感であると感じている模様で、亡き父の教えを受けつつも、「父親は父親として、そして自分は自分として」やっていくよう意気込みを語っている。
ヤマトへの想い
ヤマト2199に参加して様々な曲を演奏してきた彬良氏であるが、劇場版『星巡る方舟』公開において紹介されたコメントでは、どうしても「それだけは勘弁して欲しくれ」ということが1つだけあったらしい。
それが、OPの新しいものを作ってほしいと言う依頼である。ささきいさお氏の歌の無いOPで果たして大丈夫だろうか、と非常に悩んでいた模様。しかし、当劇場でOPを担当する事になった葉加瀬太郎氏もまた、非常にヤマトへの思い入れがあるということを初めて知ると、「それじゃあ・・・」と新OPの作成に挑んだと言う事である。
時には、ヤマトの音楽を手掛けなかった時にそのヤマトを見て「違うんだ、ヤマトの音楽はそうじゃないんだよ」と思ったことがあると語っている(本人曰く、この感情は「ジェラシー」とは違う)。それ程に彬良氏もまた、ヤマトへの想いが非常に深い事を伺わせる一面である。
ヤマト2199の代表曲
耳コピで書き起こされた曲がその大半を占める一方で、彬良氏自身が作曲した音楽も多数ある。その中で傑作と呼び声が高い曲の1つが、『ヤマト渦中へ』(俗称:ブンチャカヤマト)である。劇場版第二章で初めて流され、のちにTV版第3話でも好評を得た。
今後について
劇場公開におけるインタビューでは、これからもヤマトの音楽を手掛けていきたいとの想いを告げている。「あぁ、俺もう宣言しちゃってるよね。いかんなぁ~」と言って「いや、台本見れから決めます」と慌てて訂正してはいるものの、その表情からして、ヤマトの音楽は手掛けていきたい様子であった。
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