1958年7月22日生まれ神奈川県相模原市出身(福岡県大牟田市生まれ)。右投右打。
父親は元高校野球監督の原貢氏、甥に巨人の菅野智之投手がいる。
元読売ジャイアンツ三塁手。引退後はジャイアンツ監督として12年間指揮を執った。
経歴
選手歴
- 東海大学付属相模高等学校
- 東海大学
- 読売ジャイアンツ (1981 - 1995)
1983年には打点王とMVPを獲得している。
監督・コーチ歴
- 読売ジャイアンツコーチ(1999-2001)
- 読売ジャイアンツ監督(2002-2003, 2006-2015)
巨人の監督を通算で12年務めたのは川上哲治,長嶋茂雄に次いで歴代3位にあたる。
第2回ワールド・ベースボール・クラシック監督(優勝)。
人物
岡田彰布とは大学全日本代表のチームメイトだった。巨人では王貞治も長嶋茂雄も記録していない入団から12年連続20本塁打の記録を持つ。
冗談で「野球より好きだ」と公言するほどのゴルフ好き。
プロレス好きでもあり、日本テレビで中継をしている全日本プロレス→プロレスリング・ノアの系列に造詣が深く、ゲスト解説などもしている。これら団体の試合を会場で観戦することもしばしばある。
星野仙一と交流があり、喜怒哀楽を表に出さないためのスタイルなどを参考にしている。また、中日を戦力外となった選手(武田一浩)がテストを受けた際、星野に助言を求めている。星野は巨人の大型補強に関しても、「あの『戦力』なら誰でも勝てる」などといったファン本位の声が上がるなか、「あれだけの“名前”が揃うと原もやりづらいだろう」と数少ない擁護発言をしている。
現役時代から阪神タイガースのユニフォームを着たファンからもサインを求められることが頻繁にあり、私設応援団などから野次としての応援歌の替え歌を流されることはあったものの、阪神ファンからも好意的な印象を得ている数少ない巨人OBの一人である。2002年の甲子園での胴上げは過去の歴代監督の苦い経験から暴動が起きるのではないかと心配されたが、球場全体から大きな拍手を送られた。
2003年第1次監督辞任の際、引退セレモニーおよびスピーチを阪神対巨人最終戦の試合終了後敵地阪神甲子園球場で行った。これは親交が深い阪神・星野監督(当時)の発案である。同球場の観客には阪神ファンが圧倒的に多く、ライバル球団の関係者がスピーチを行うことなど前代未聞であったが、辞任に至る経緯などから、原に同情的な阪神ファンも少なくなかった。辞任挨拶の際、阪神を率いていた星野から花束を渡され、「また戻って来い」「くじけるな。また野球を一から勉強しろ」と激励され、互いに抱擁を交わした。原は感極まり、涙が止まらなかった。
2006年から監督復帰。当時巨人は5位に沈み「巨人を立て直すには後5年かかる」(恩師の藤田元司の発言)。「あと10年は中日・阪神の時代。巨人の時代は終わった」等と言われる中、2年後の2007年にはリーグ優勝。2008年には13ゲーム差を覆す大逆転優勝でV2。
2009年には上述のWBC優勝に加えリーグV3、そしてついに悲願の日本一奪還を果たし、世界最優秀監督に輝いた。
その後2年間は3位(といっても首位とは1ゲーム差、3ゲーム差であったが)に沈むが、2012年から再びV3を達成。
2015年、1.5ゲーム差の2位でシーズンを終えた後、10年間に及んだ2次監督を勇退した。
彼の後任は前年に選手を引退した高橋由伸となった。
顔芸
写真に映るたびに上のような面白い顔が撮れることに定評があり、ネット上では度々ネタにされる事が多い。
だが、顔のインパクトが大きすぎるためかコラージュにされる頻度は少ないようである。