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中村光一の編集履歴

2016-12-25 16:25:06 バージョン

中村光一

なかむらこういち

「ドラゴンクエスト」「弟切草」「風来のシレン」等のタイトルで知られるプログラマ、ゲームクリエイター。

概要

1964年生まれ。香川県出身。


丸亀高校時代から、I/O等のパソコン雑誌に業務用タイトルのパソコン移植プログラムを投稿していた学生プログラマで、日本のパソコンゲームの創世記において

と並ぶ、プログラム技術の高さで知られた名プログラマーだった。


高校三年時にエニックスが開催したゲームホビープログラムコンテストにドアドアで応募。大賞は森田和郎の森田のバトルフィールドに譲ったものの、優秀プログラム賞を受賞し、ゲーム業界で生きていくことを決心した。なお同コンテストには、後にドラゴンクエストでタッグを組む堀井雄二ラブマッチテニスで応募し入賞している。


電気通信大学入学後、オリジナルタイトルであるドアドアを各パソコン機種に移植した事で収入を得、大学在学中の身でチュンソフトを設立。代表に就任した。ちなみにチュンソフトのチュンは、中村の「中」からとられたあだ名を元にしている。


その後、活躍の舞台はコンシューマゲーム業界にうつし、ファミコンに自身のオリジナルタイトルドアドアや、堀井雄二のポートピア連続殺人事件の移植を行った。ポートピア連続殺人事件の移植の際は、当時のアドベンチャーゲームでは当たり前だったキーボードにより直接コマンドを英語で入力する方式がファミコンで無理だと考えていたところ、堀井の提案でコマンド選択メニューを出す形式を採用した。またこの頃、ウィザードリィウルティマにハマっており、同じく同作にハマっていた堀井と共に、ファミコンでロールプレイングゲームを作ろうと考え、自らプログラムを担当したドラゴンクエストをリリース。大ヒットシリーズとなったドラクエには第5作まで開発を担当した。


スーパーファミコンの時代になると、プログラマの職からは離れ、プロデューサー的な立場となってテキストアドベンチャーの新機軸弟切草で自社ブランドデビューを果たし、かまいたちの夜や、トルネコの大冒険風来のシレンと続く不思議のダンジョンシリーズをリリースした。


2012年。スパイクを吸収合併したスパイクチュンソフトでは会長職になった。


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