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立烏帽子の編集履歴

2018-04-14 22:07:07 バージョン

立烏帽子

たてえぼし

日本の伝承に登場する鬼。伊勢の鈴鹿山に居を構え大嶽丸と組んで日本を覆そうとした。

立烏帽子とは、


  1. 烏帽子の一種。烏帽子の中で最も格式が高い → 烏帽子
  2. 日本の伝承に登場する鬼姫

ここでは2.について述べる。


天女として → 鈴鹿御前


概要

京都祇園祭の山鉾(山車)のひとつ「鈴鹿山」の御神体として有名な鈴鹿権現(瀬織津比売)が退治した悪摩或いは立ゑぼしとして説話に登場する。


平安時代の鈴鹿山では盗賊が横行した事で鬼の棲み家とされた。

立烏帽子の名前は鈴鹿山の盗賊として登場し、立烏帽子が崇敬していた女神鈴鹿姫鈴鹿御前)であった。

鈴鹿姫伝説と、鈴鹿峠周辺に残る坂上田村麻呂伝説が組み合わさって御伽草子田村草子』や『鈴鹿草子』が誕生した。


本来は立烏帽子と鈴鹿御前は別人物であるが、同一人物として流布されたのは江戸時代の東北地方で演じられた奥浄瑠璃『田村三代記』に登場してからとなる。

田村三代記では第六天魔王の娘もしくは第四天魔王の娘の立烏帽子として、鈴鹿御前の役回りを当てられている。


『田村三代記』は語り物の特色として多くの異本が存在し、筋書きは『田村草子』や『鈴鹿草子』と概ね同様であるが、『鈴鹿草子』に見られるような登場人物の微妙な心理や葛藤は省略され、鬼神退治の活劇を主とする内容となる。

また『田村三代記』は田村利春、田村利光、田村丸利仁の三代に渡る長編ストーリーであり、全編を演じるのには数日に分けられたという。


立烏帽子は平安時代に父である第六天魔王の命に従って神国である日本を魔国にするために鈴鹿山に天下ってきた。

討伐を命じられ赴いた田村丸利仁に対して立烏帽子は互角に渡り合い、立烏帽子は「陸奥達谷窟に住む大嶽丸と夫婦の契り(この場合は単なる盟約だけ)を交わして日本を魔国にしようとしたが返事が来ない。そんなときにに妖星が天から砕け降りた初代田村利春と大蛇(龍)の化身の女人の間に生まれた二代田村利光、利光と悪玉姫という鬼の間に生まれ観音の再来でもある三代田村丸利仁に会って心が変わった。夫婦になって日本の悪魔を従わせましょう」と持ちかけた。

立烏帽子は田村丸の勇敢さと精悍な出で立ちに一目惚れし、顔の分からない大嶽丸を裏切り田村麻呂と共に歩む道を選んだ。

こうして三年の月日が過ぎた頃、二人の間に娘の正林(しょうりん)が生まれた。


都に戻った田村丸に悪事の高丸を退治せよと命が下される。近江に棲む高丸を追い詰めるも、あと一歩の所で常陸鹿島まで逃げられる。すると立烏帽子の神通力で空を飛ぶ光輪車で二人は高丸を追いかける。十二の星を降らせ星の舞をさせて高丸を誘い出して退治した。


高丸を退治した田村丸に、今度は達谷窟の大嶽丸を退治せよと命令が下る。すると立烏帽子は大嶽丸にわざと捕らわれて、達谷窟に田村丸を招き入れる事に成功する。二人で大嶽丸を攻めるものの、大嶽丸

を取り逃してしまう。


ようやく大嶽丸を箟峰山の岩屋に追い詰めた田村丸は必死に観音に祈った。すると岩屋の戸が開き、奥には観音の呪縛にかかった大嶽丸が鎖に繋がれていた。田村丸と立烏帽子がそはや丸、こんじゃく丸、大通連小通連顕明連の五振りの剣を投げつけると、大嶽丸の体は四つに切り裂かれた。


すべての鬼を討伐した頃、立烏帽子は「二十五年という短い天命を全うして、この世を去らなければいけません」と告げた。

嘆き悲しむ田村丸は夢か現か、天界にまで赴むき閻魔大王に彼女を返せと迫った。困った閻魔大王は近江で少し前に死んだ小松という娘を生き返らせる。その娘は田村丸の妻となり113歳まで生き、田村丸も96歳まで生きた。それぞれ鈴鹿山の清瀧権現と田村明神になったという。

娘の正林は93歳まで生き、奥州へ飛んで正林寺の地蔵菩薩になった。


なお『田村三代記』では天女の鈴鹿御前ではなく天魔の姫の立烏帽子として登場し、田村将軍との婚姻後に鈴鹿御前と呼ばれる諸本がある。

他に様々な「田村三代記」が語られており立烏帽子ではなく、蝦夷(えみし)の娘の悪玉御前というバージョンなど、多種多様である。


関連タグ

鈴鹿御前 大嶽丸

エボシ御前…立烏帽子がモデルになったと宮崎駿監督が明かしている。

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