概要
小畑健との共著『デスノート』(DEATH NOTE)で一躍有名になった漫画原作者。
社会現象とも言うべき大ヒット作となった漫画の原作者でありながら、その経歴や素性の多くが秘密とされており、その正体についてネット内でたびたび議論が重ねられていた。そして、作品内に隠されたいくつかの特徴から、「もしかして正体はこの漫画家ではないか?」という噂が瞬く間に広がり、一種の都市伝説として扱われるようになった。
その後、次作である『バクマン。』の単行本には、大場つぐみ本人が作成したというネームが掲載され、描かれたキャラの顔立ちなどの画風の類似性から、上記の説はいよいよ高い信憑性を持って語られることとなった。
そして今現在、この噂に関しては本人が認めている。
第3弾『プラチナエンド』連載中。
ガモウ=大場説の要因
- 初期はくだらないギャグが飛び交っていたガモウの代表作『とっても!ラッキーマン』であるが、終盤ではメチャクチャ台詞が長くなり、コマの半分以上を占めるほど長く話すことが多くなっており、このような小説的な手法は『デスノート』(以下DN)でも見受けられる事
- 2003年以降全く活動していなかったガモウが、突如として2008年に絵本『でたぁーっわんつーぱんつくん』で復活を遂げる事(『DN』は2003~06年、『ラルΩグラド』は2006~07年に掲載)
- ちなみに2009年に刊行された『ラッキーマン』文庫版で「(『ラッキーマン』の印税以外で)先生はどうやって生活費を稼いでいるんですか」と読者に質問された際には「一番聞いてはいけないこと」と応えている。
- 『DN』第1話で「蒲生ゼミナール」という看板が背景に描かれている事
- ガモウの絵本『でたぁーっわんつーぱんつくん』になぜか大場つぐみが書評を掲載しており、しかも児童向けギャグというジャンルにも拘らず『ぱんつくん』内にもDNネタが散見される事
- 『バクマン。』がまだ連載会議すらされていなかったころ、2chにガモウの息子を名乗る人物が「大場つぐみも鷹野常雄(『DN』と『バクマン』の間に連載されてた『BLUE DRAGON ラルΩグラド』の原作者)もガモウのPNだよ」とあっさり認めた上、「今度はパンツが主人公の絵本出すぜ」とか、「オヤジの次の漫画は漫画家を目指す少年と声優を目指す少女の話らしい」などと書き込んでいたこと
- 『BAKUMAN』の下半分を隠すと『RAKIIMAN』に見えなくもない事
- 『バクマン。』に登場する川口たろうの著作(例:超ヒーロー伝説)及び彼と恋人のエピソードなどがガモウ作品に酷似しており、「アニメ化されて以降鳴かず飛ばず」などという来歴まであまりにガモウそのままである事
- 『バクマン。』1巻の表紙にラッキーマンの単行本が描いてあること
- 『ラッキーマン』にこしがや「たろう」という投げやりな名前の悪役が登場しており、川口市は越谷市のすぐ隣であること
- ついでに言うなら川口市では川口太郎焼きという銘菓もあるので、むしろ越谷太郎の方がマネした可能性もある
- 大場が描いたとされる『DN』13巻掲載の原案ラフ、『バクマン』のネーム、アニメ版公開前にNHKあてに送ったトータルテンボスの似顔絵などが極端に簡略かつ頭身が低く、ラッキーマンのキャラにしか見えないこと
- 上記の大場ネームに加え「ジョジョの奇妙な冒険」20周年記念イラストとして大場の寄稿したイラスト及び書き文字がガモウの画風に酷似している事
- そのイラストに「4部の生原稿をジャンプに載る前に見させていただいた」と書いてあり、4部が掲載されていた1992~95年の間、少なくとも「ジョジョ」作者の荒木飛呂彦(もしくは担当編集)と面識があったことが伺えること
- 念のために書いておくと『ラッキーマン』が連載されていたのは1993~97年。大場がデビューしたのは2003年であり、まず計算が合わない。
名前の由来
「大場つぐみ」というペンネームの由来についてもいくつかの説があり、そのうち最も有名なのが以下の逸話。
「少年ジャンプ」の編集部には、持ち込まれた原稿のうち、本誌に掲載されることなく不採用(ボツ)となったものを保管するための、大きな×(バツ)印が描かれた箱がある。そして、幾度となく原稿を持ち込むも、実力不足等でことごとくボツにされてしまう漫画家は、上記の箱にちなんで「大バツ組」と呼ばれている。一説では、原作者として再スタートを切った件の漫画家が、ストーリー作成の才能に恵まれながらも画力がそれに追いつかなかったために、長らく「大バツ組」として不遇の時代を歩んできた自身に対する自嘲を込めてつけたペンネームが、「大バツ組」→「おおばつぐみ」→「大場つぐみ」である。
ただし、この話もあくまで都市伝説の一つであり、その真偽は不明である。