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陳武の編集履歴

2020-09-14 12:44:47 バージョン

陳武

ちんぶ

陳武とは、三国時代の呉の武将。孫策・孫権に仕えた。

秦末漢初の将軍で劉邦に仕えた柴武も陳武と言われるが、ここでは後漢末期に孫策孫権に仕えた武将について述べる。

概要

揚州廬江郡松滋の人。字は子烈。

孫策が寿春にいた頃に拝謁して家臣となった。その時、陳武は18歳で身長が7尺7寸あったという。孫策に従軍し、各地で戦功を挙げて別部司馬となった。孫策が劉勲を討つと、その投降者を選抜して軍団を組織し、陳武が指揮をした。


思いやりがあり、人に対する気前も良い性格だったため、同郷の者や遠方からの避難民から慕われ、孫権からも特別の寵愛を受けていた。


215年、軍との合肥の戦いにおいて戦死する。孫権は陳武の死を大いに悲しみ、葬儀にも直接参加したという。

息子の陳脩と陳表もまた優れた人物で、弟の陳表は父以上と言われたが共に早世している。


三国志演義

黄色い顔に赤い瞳という容貌の人物となっている。周瑜との旧知の人物として登場し、劉繇の残党である張英を討ち取っている(ただし吉川三国志や横山三国志では孫策自ら討ち取っている)。

合肥の戦いで龐徳と一騎打ちを行うが、枝に服が引っ掛かって身動きが取れなくなったところを斬られて戦死する。


ちなみに蒼天航路では張遼に真っ二つにされている。


余談

三国志大戦』では、何故かとかげみたいな容貌となっており、異色なキャラとして際立っている。


関連タグ

三国志 孫呉 リザードマン

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