概要
静岡県浜松市中区元城町にあった城。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。
歴史
15世紀頃に築かれた曳馬城(ひくまじょう)が前身とされている。16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていた。
1570年、徳川家康が曳馬城に入城し浜松城と城名を改め武田信玄に対する前線基地として城の拡張・改修を行い、城下町の形成を進めた。当時は土造りの城であり、石垣や瓦葺建物を備えていなかったと考えられている。家康は1586年に駿府城へ移るまでの17年間この城を拠点とした。
1590年、家康が関東に移封されると豊臣家臣であった堀尾吉晴が城主となり浜松城は近世城郭として築城し直され野面積の石垣や天守が築造された。
関ヶ原の戦い後は江戸時代を通じて徳川譜代の大名が城主となり歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた(しかし不祥事を起こし左遷された藩主もいる)。天保の改革で知られる水野忠邦は唐津藩主時代に昇格のため願い出て浜松藩主となり後に老中になったと言われている。江戸時代の265年の間で浜松藩の藩主は22人おり、平均約12年弱の期間に藩主が変わっている。
堀尾吉晴によって創建された天守は江戸時代初期に何らかの理由で失われ、以降は天守門と呼ばれる櫓門が浜松城を代表する建物となっていた。
明治時代になると廃城令によって城郭は破壊され宅地化が進んだ。
戦後、開発を免れた天守曲輪と本丸の一部が浜松城公園として整備され、1958年に天守が再建された。
作品等
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CV:井上麻里奈
CV:大西沙織