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ダイタクヘリオスの編集履歴

2021-05-26 18:24:40 バージョン

ダイタクヘリオス

だいたくへりおす

JRAの元競走馬・種牡馬。(サムネ画像左)

※本馬をモチーフとした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘についてはダイタクヘリオス(ウマ娘)参照。


概要

1987年4月10日生まれ。父ビゼンニシキ、母ネヴァーイチバン。

ビゼンニシキはシンボリルドルフと同期でライバルと言われた。

馬名は馬主・中村雅一の経営する大拓(株)とギリシャ神話の太陽神ヘリオスを組み合わせたもの。


通算35戦10勝(GⅠ2勝)。獲得賞金6億8995万2400円。

短距離、マイルを中心に活躍し、大逃げを得意とした。

岸滋彦騎手の代表的騎乗馬。


主な競争歴

1989年

1990年

1991年

1992年

  • 3月1日、マイラーズカップは60kgのハンデを背負いながら5馬身差で連覇し、重賞5勝目。
  • 5月17日、安田記念6着。
  • 6月14日、宝塚記念5着。
  • 10月11日、毎日王冠はレース前に騎手を振り落とすなど暴れたが、レースはレコードタイムで逃げ切り重賞6勝目。
  • 11月1日、秋の天皇賞メジロパーマーとの逃げ争いの末失速し8着。超ハイペースに巻き込まれたトウカイテイオーは7着に終わり、初めて掲示板を外した。
  • 11月22日、マイルチャンピオンシップで史上2頭目の連覇。
  • 12月20日、スプリンターズステークス4着。
  • 12月27日、連闘で臨んだ有馬記念では再びメジロパーマーと共に逃げ12着。メジロパーマーは1着。これが引退レースとなった。

引退後

1996年より種牡馬となり、ダイタクヤマトなどを輩出。

2008年9月に種牡馬を引退し、青森県の牧場で功労馬として余生を過ごす。12月に21歳で死亡。


余談

  • パドックでイレ込んだり、レース中にかかりまくってバタバタしている方が好走した。
  • 1番人気で惨敗、人気薄で1着というパターンを繰り返し「オッズを見る馬」と呼ばれるなど、何かとネタにされる人気馬だった。1番人気で勝ったのは1989年のさざんか賞のみ。
  • 常に大きく口を割って走ることから、「笑いながら走る馬」とも言われた。
  • 現役時代は気性難で厩務員を手こずらせたが、引退後は一転して非常に温厚になり関係者を驚かせた。
  • 1991年の安田記念高松宮杯などで対戦した牝馬ダイイチルビーとは5勝3敗で、マイル戦線を中心にライバル関係を築き、漫画『馬なり1ハロン劇場』で題材にされた。ゲーム『ウイニングポスト』では両者の架空の産駒であるファーストサフィーが登場したが、現実で夢の配合は実現しなかった。
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