概要
元々は相撲のように神事だったローマ帝国の剣闘士闘技会も、時代が変わるにつれ低俗化した見世物となり、政治家のプロパガンダの場と化していった。剣闘士の戦いもより派手なものが好まれるようになり、そうした中、女剣闘士(グラディアトリクス)も登場するようになった。
フィクションでは(主にエロ的な意味で)多用されている反面、かつてはその存在を疑問視されていたが、ドイツ・ハンブルクの美術工芸博物館所蔵の約2000年前のブロンズ像を分析した結果、訓練を積んだ女性たちが円形闘技場で死闘を繰り広げていた可能性が明らかになったという。この像は制腰を布で覆い、胸をあらわにした女性が左手で大きな鎌のような物体(「シーカ刀」と言ってこんなやつで曲がってる方に刃がついている)を振りかざしている。(裸の上半身も、男女とも胸をあらわにして試合するというルールがある剣闘士では普通だった。ビキニアーマーどころじゃなかったのだ)
また、大英博物館にアマゾニアとアキリアという名の女闘士の大理石のレリーフが所蔵されており、兜は付けず素顔を出し、大ぶりの盾を持って剣を構え、乳房は巻き布で隠している。
史料的にも詩人ユウェナリスが女闘士を嘲笑する詩を残しており、ドミティアヌス帝は女同士の試合を命じ、そしてセプティミウス・セウェルス帝がこれを禁止する命令を出している。
なお18世紀ころ、英国で「女の喧嘩」(剣闘士の戦いみたいなの。もちろん野郎版もウォーリー・ベアと呼ばれるクマと犬を戦わせる競技場を改造して行われていた)が行われている。こちらはジャケットにドロワーズ、ペチコートという姿で、硬貨を握って戦い、それを落とした方が負けというルールであった。この競技は19世紀に、刃物で戦う娘が出たために禁止されている。