概要
ゲーム内においての後藤又兵衛は『元黒田軍』という立ち位置なのだが、史実でのことや呼びやすさから「黒田主従」タグが使われている。
※このため、正確には「黒田元主従」。
一般向けだけでなく腐向けにも使われることがあるため、腐向けの作品には「腐向け」タグも併せて付ける方がマナーとして良いだろう。
ちなみに、2人とも特定の固有奥義や固有技を使うと「奥州杯」でUMAを抜かすことが出来る。(詳しい方法については「奥州杯」の記事を参照。)
ゲーム及び他メディアでの絡み
最初に発売された4ではあまり絡みがなかったが、その完全版にあたる4皇では2人で絡む機会が増えた。
官兵衛ドラマルートでは穴蔵に「からかいに来た」又兵衛に対しあくまで「親分」として振舞う官兵衛、そして安定のギャグオチが、
新ステージ厳島・三兵衛占拠では元主従らしからぬ子供っぽい言い争いを繰り広げる官兵衛と又兵衛の姿を見ることができる。
このステージは黒田主従を仲間割れさせる・させないで後々の会話やデモムービーが異なるため、進め方次第で様々な会話が見られる。
毛利アニメルートと大谷ドラマルートで登場する三兵衛ステージでは、更に特殊な会話が発生するため、必見。
4皇に先立って戦国BASARAマガジンに掲載された「三兵衛騒乱」においては、小田原無血開城と言う功を立てたにも関わらず官兵衛が失脚した理由が描かれており、こちらも黒田主従好きは必見である。
実は…
一見「ポジティブで大胆な親分」と「ネガティブで繊細な元子分」と真逆のようだが、
実は、何だかんだで結構似た者(元)主従だったりする。
- 根本的に子供っぽい性格
「感情の浮き沈みが激しい」「自身の感情が顔に出やすい」「思い通りにならなかったらすぐに叫ぶ」…など、どちらも子供の心のまま大人に成長したような性格をしている。
- 今の自分を惨めだと思い、逆転したいと思っている
黒田は九州左遷のことを、後藤は小田原での失敗という挫折をそれぞれ根に持っており、常に挽回する機会を伺っている。
その挽回のための方法が、
・黒田…天下取り(天下を取ったら今までの失敗が帳消しになる)
・後藤…閻魔帳第1位を処刑すること(処刑することで小田原での失敗をやり直し出来る)
…とそれぞれ思っている。
- 一度根に持ったらとことん拗ねる
黒田はBASARA3での島津緑ルートを、後藤は4のストーリーをそれぞれ進めたら分かる通り、我慢の耐性の違いはあれど二人とも一度根に持ったら結構引きずるタイプである。
それぞれそれが原因で、黒田は上記のルートで立花を自分よりも人望があるからと始末しかけ(島津に止められたおかげで未遂で済んだが)、後藤は閻魔帳に逆恨みした人物を記してとことん執着するという行動結果に結びついている。
そのため、ある意味怒らせたら面倒臭いコンビだったりもする。
- どちらも気が短い
黒田は「不運で負けが込んでいること」から、後藤は「狂気と正気を行き来していること」によって、お互いに気が短い上にすぐに怒りっぽい。
そのため、「厳島三兵衛戦」の時のように一度言い合いが始まると子供の喧嘩みたいな事態に発展する。
余談
上記のやり取りから、この二人の関係性は「黒田官兵衛(黒田孝高)と後藤又兵衛」の方ではなく、官兵衛の息子にあたる「黒田長政と後藤又兵衛」の方が元ネタになっていると思われる。
史実において後藤又兵衛は幼少期に黒田家に引き取られ、又兵衛は官兵衛から実子の長政と兄弟のように育てられたという説があり、官兵衛が没した後は元々あまり仲が良くなかったこともあって袂を分かっている。史実の又兵衛が浪人になったのはその後の話。
※ちなみに、『「そのキャラクターのモチーフとなった人物」の先祖や子孫のエピソードをキャラクター自身の性格や行動として盛り込むこと』はBASARAでは結構あること。
pixivにおける扱い
上でも説明した通り、史実においての二人は ほぼ親子のような付き合いの長さである。
そういった背景があるからか否か、
タグが適応されているイラストにはゲーム内でのやり取りが判明する前の色々な関係性を想像した作品も多く存在する。