概要
『ウマ娘プリティーダービー』に登場するウマ娘であるメジロマックイーンと、イクノディクタスとのカップリング。「イクマク」表記もみられる。
栗東寮でのルームメイト。
名門メジロ家のお嬢様であるメジロマックイーンと、自分にも他者に対しても体調やスケジュール管理が得意な秘書タイプのイクノディクタスというコンビ。
所属チームは違うのだが(マックはアニメ版スピカ・ゲーム版シリウス、イクノはカノープス所属)、マックはルームメイトのイクノに対して「勤勉で、他者にとても心を配って下さる方」と高い信頼を置いている。
勉学面で互いに協力しているほか、何かというとスイーツの誘惑に駆られ体重管理に四苦八苦しているマックを、イクノがサポートしているであろうことは想像に難くない。
……史実の両馬の関係を知っていると、ウマ娘中でも屈指のキマシ妄想がふくらむカップリング。後述する通り、2馬は同世代にして、イクノディクタスの最初の交配相手がメジロマックイーンである。よって史実準拠といえばまあそうなのだが、ウマ娘においてはファン各自節度を保ってキマシ・うまぴょいしよう。
史実
※以下の記述では、当時の旧馬齢表記(現在の表記よりも+1歳)を用いる。
メジロマックイーン(1987~2006、牡馬)とイクノディクタス(1987~2019、牝馬)。同世代の両馬ではあるが、たどった道は当初大きく違った。
マックイーンは故障でデビューが4歳にずれ込み、牡馬クラシック三冠は最後の菊花賞に出走したのみ。しかしその1990年菊花賞に勝利すると、翌年にかけ阪神大賞典、天皇賞(春)とたて続けに長距離重賞を獲得し、一躍最強ステイヤーとしてスターロードを歩み出した。
一方のイクノは牝馬クラシック三冠に挑戦するも、馬券にも絡めず。以降は高くともGⅡまでのレースで黙々と着を取り、コツコツ賞金を稼ぎ出していった。1991年は年間12戦、1992年は年間16戦走って故障なく、「鉄の女」の異名で呼ばれるようになった。
その2頭が同じレースで走るようになったのは、互いに7歳を迎えた1993年になってからである。この頃のマックが距離を縮める方向にシフトしていたことと、イクノが1992年に複数の重賞を獲り、再びGⅠ戦線で戦える馬に返り咲いてきたことによる。
ハイライトは1993年6月13日の宝塚記念におけるワンツーフィニッシュである。マックは前団好位置につけ、最終直線できっちり先頭に抜け出す横綱相撲で勝利。一方、道中後方からレースを進めたイクノは最終直線で粘り強くマックに追いすがり、逃げを打っていたオースミロッチをゴール板直前で差して2着に食い込んだ。
この年限りで両馬とも引退し、マックは種牡馬に、イクノは繁殖牝馬になったが、イクノの初年度配合の相手に決まったのはマックだった。マックの主戦騎手武豊の「マックはイクノに想いを寄せていたんじゃないかな」という証言や、前年のグランプリでワンツーを決めた2頭の交配ということもあり、競馬ファンの話題と期待を集めた。
残念ながら、生まれた牝馬キソジクイーンは11戦未勝利であったが、こうした「夢の交配」が実現したこと自体が非常にまれなことであった。
余談
繁殖入り当初の状態と派生ネタ
イクノが繁殖入りして当初は発情がなかなか出来ず、初年度は注射の力を借りて受胎させている。この事からマックはイクノに自主規制を行ったというネタがネット上で出来てしまったが、モチーフとなる競走馬のイメージを著しく損なう表現に繋がりかねないので大っぴらに発言するのはやめよう。
(一応、注射の力を借りるというのは競走馬界隈ではそこまで珍しくないのだとか…)
マックイーン以外で産駒を出産したウマ娘に登場する競走馬
繁殖牝馬入りし2000年代まで活動したイクノだが、ウマ娘として登場している複数の競走馬とも交配を行っている。交配したウマ娘登場の競走馬は以下の通り。
産駒はあまり活躍する事なく、2009年に繁殖を引退している。
よく話題に上がるトウカイテイオーとはどうだったの?
アニメ2期放送中に話題に上がったイクノとトウカイテイオーとの関係。一部の噂として個人ブログやウマフリのコラムに載った事はあったが、ソース不明確のため事実としては現状一切ない。
「馬なり1ハロン劇場」では当時マック・イクノ・テイオーの三角関係を描いた漫画が載った事があったが、作者が脳内自作カップリングを作る性格(ダイタクヘリオスとダイイチルビー等)であるためソースとはなりにくい。
そのため、この噂は「馬なり~」やTM対決、前述のイクノがマックに対し発情出来なかった話を独自解釈したネタの可能性が高い。