当記事では理解のある彼くんそのものだけでなく、彼らが登場するエッセイ漫画などに関しての記述も含む。
概要
理解のある彼くんとは、生きづらさを抱えている女性とカップルになった、彼女たちに理解のある男性の事を指す。この言葉の女性版として「理解のある彼女ちゃん」や、「理解のある奥さん」などがある。多くの場合、彼らは何らかの理由(精神疾患や発達障害がある、希死念慮がある、LGBTQなどの性的マイノリティである、自己肯定感が希薄である、人と関わるのが苦手である、etc.)により社会生活を送るうえで困難や生きづらさがある女性が描いたエッセイ漫画やエッセイなどに登場する。
理解のある彼くんはその名の通り、彼女たちに理解を示している。例えば、彼女たちが精神的に不安定な事やストレスを抱えている事などが原因で起きる行動に対し彼らは怒ったり暴力を振るったりせず、彼女たちの行動を許して寄り添う。そのため、エッセイ漫画などにおいて彼らは彼女たちのありのままを受け入れてくれる優しい人として高く評価され、これから幸せに生きていく上で欠かせない存在として描かれている場合が多い。
基本的に作者が「理解のある彼くん」という言葉を使う事は少なく、主に読者側が使う…のだが、最近では「理解のある彼くんはいません」と読者に向けて注意書きが書かれたエッセイ漫画が投稿された。
また、この言葉がネットで広まるより前からこのような男性が世の中にいた可能性や、彼らを取り扱ったエッセイ漫画やエッセイなどがあった可能性は十分に考えられる。
ネットでの反応
賛否の声
理解のある彼くんが登場するエッセイ漫画はTwitterなどのSNSに投稿されると多くの人の共感を呼び、バズる事がある。しかし、彼らが登場する話を肯定的に受け止める人々がいる一方、否定的に捉える人々も少なくない。
否定的に捉える人々は非常に様々であり、例えば
- 自分と同じような人が描いたエッセイ漫画だと思い読んだが、パートナーがいる人にマウンティングされたと感じ腹を立てるパートナーがいない人々
- 自分と同じような人が描いたエッセイ漫画だと思い読んだが、自分と同じじゃなかったと知りショックを受けるパートナーがいない人々
- 自分と同じような人が描いたエッセイ漫画だと思い解決策を知るために読んだが、自分には難しい事が解決策のように描かれているため参考にできず困惑するパートナーがいない人々
- 前に似た展開のエッセイ漫画を読んだことがあり、面白さを感じない人々
- 理解という部分に関して疑念を持つ人々
- 理解のある彼くんは根本的な解決にはならないと考える人々
などがある。
また、否定的な人々の中で過激な層は偏見や差別、女性嫌悪、優生思想、事実や根拠に基づかない考えなどを持っている。この層は、過激でない否定的な層よりも理解のある彼くんやそのパートナーである女性を強く嘲笑や侮蔑の対象にしており、
- 「理解のある彼女ちゃん」や「理解のある奥さん」が登場する話を聞いた事が無いとして、この世を女性は恵まれているが男性は恵まれていない女性優位社会であると強く主張する人々
- 精神疾患や発達障害を持っている人は子育てが出来ないとして結婚や出産をすべきではないと強く主張する人々
- 精神疾患や発達障害などが子供に必ず遺伝するとして発達障害の人は結婚や出産をすべきではないと強く主張する人々
などが見られる。また、理解のある彼くんが登場するエッセイ漫画の作者が離婚した事があったが、上記のような過激な層などはこの出来事を喜んでいた。→togetter
理解に関して
理解のある彼くんという言葉は広まるにつれて、理解という部分に関して様々な考えや解釈などが生まれている。その例として、以下のようなものがある。
- 何をもって彼らが彼女たちを理解しているとするのか
彼らの理解が、何に対する理解なのかに関して注目する考え方。理解の方向が何に向いているのかによって、話の意味が変わる可能性があるためである。彼女たちの生きづらさに対しての理解であるとする考え、彼女たちへの接し方に対しての理解であるとする考え、などがある。
- 彼らは本当に彼女たちを理解しているのか
彼らは彼女たちを理解していないが、表面上は理解しているように見えるだけであるとする考え方。彼らが彼女たちと交際する理由として庇護欲、支配欲、性的な欲求などを満たすためだけではないかとする考え、実際は彼女たちに無関心なのではないかとする考え、理解ではなく我慢や忍耐なのでそのうち何らかの形で限界が来るとする考え、などがある。
さらに、一部には「他人を理解するという事はどういう事か」といった一種の哲学的な問いに向き合う人々もいる。また、パートナーはお互いに理解しあっているのが普通なのだから、わざわざ「理解のある」とつける必要は無いと考える人々もいる。
理解のある彼くんは解決策か否か
彼女たちの生きづらさや困難を解決した方法として彼らが取り上げられる事があるが、これに関しても様々な考えがある。具体的には、
- 支えてくれるパートナーがいる方が良いとする考え
- 支えてくれるパートナーが見つけられる頃には、もう問題がある程度解決している可能性があるのではないか(つまり、前後関係が逆である)とする考え
- もし彼女たちの困難や生きづらさが精神疾患や発達障害に関するものである場合、それを解決できるのは理解のある彼くんではなく医療や社会福祉などであるとする考え
などがある。
理解のある彼くんが登場する話の前提
理解のある彼くんが出てくるエッセイ漫画などが描かれる前提として、例として作者には以下のようなものがある。
- 生きづらさなどがある(あった)
- 女性である
- LGBTQなどを考慮すると男性の場合もある
- DVなどをしないパートナーがいる
- 生きづらさなどによる精神的ストレスが(最も悪い状態だった時と比べ)落ち着いている
- あくまで「最も悪い状態だった時と比べ」なので、当然だが精神的ストレスの度合いは作者により個人差がある
- 漫画が描ける
- 絵が描ける
- 文章が書ける
- 構成(コマ割り、構図など)を考えられる
そして、この前提を満たさない例として
- パートナーはいるが、精神的余裕が無く漫画が描けない女性
- パートナーはいないが、精神疾患などがある程度落ち着いたため漫画が描ける女性
- 生きづらさがある(あった)が、そもそも漫画を描かない女性
などがある。
このような点を考慮すると、理解のある彼くんがいて漫画が描ける人々は生きづらさがある人々の中のマジョリティではない可能性がある。そのため、このような漫画を読んで全ての生きづらさを抱える女性を批判する事や、日本が女性優位社会であると主張する事には無理がある。
この言葉の使われ方
理解のある彼くんという言葉は揶揄やレッテル貼りに使われる事が多い。というより、そのようなエッセイ漫画などに対して肯定的な人々はこの言葉を知らない場合がある(わざわざ「理解のある」なんてつけない)。
しかし否定的な人々がこの言葉を使っているのを知り、
- 別に人の幸せを否定したりけなしたりしなくて良いじゃないか…
- そんなに他人の幸せがそんなに嫌か?
- 人はパートナーとではなくても、誰かを助け誰かに助けてもらいながら生きていくもの
- 作者はあくまで自身の体験を描いているだけで、読者に解決策として押し付けていない
というような文章をツイートする人々も見られる。
また、女性嫌悪を持つ人々やフェミニズムが嫌いな人々はこの言葉を使う時、話を「男性対女性」の二項対立へ持ち込んで女性を批判する・女性嫌悪を煽る事がある。
この言葉に関する注意
この言葉はネットで激しい論争になりやすい状況にあるため、特に理解のある彼くんが登場するようなエッセイ漫画などに関して論じる際には肯定的な人々にも否定的な人々にも
- 「not for me」の精神
- 彼女たちの生きづらさや困難に関する科学的根拠のある知識
などが重要である可能性がある。
関連イラスト
関連タグ
デウス・エクス・マキナ…エッセイ漫画に彼らが現れるとハッピーエンドに終わる場合が多いと感じる人々から類似点を指摘される事がある。
シンデレラストーリー、白馬の王子様…「困難がある女性を救う」という点で、これらとの類似点が指摘される事がある。
生存バイアス…理解のある彼くんが登場する話の前提を論じる時に、この言葉が使われる事がある。