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キョウエイマーチの編集履歴

2022-07-31 23:39:29 バージョン

キョウエイマーチ

きょうえいまーち

キョウエイマーチは1990年代後半にJRAを中心に活躍した元競走馬・繁殖牝馬。

概要

キョウエイマーチは1990年代後半に日本中央競馬会JRA)を中心に活躍した元競走馬繁殖牝馬

生涯成績はJRAで26戦8勝、地方競馬で2戦0勝。

主な勝ち鞍は桜花賞(1997年)

同期のライバルはメジロドーベル(対戦成績はキョウエイマーチの1勝2敗)、シーキングザパール(〃2勝3敗)で、牝馬3強と称された。


略歴

1994年4月19日、キョウエイアドインターナショナル代表の松岡正雄がオーナーのインターナショナル牧場北海道沙流郡日高町)で誕生。

父・ダンシングブレーヴ、母・インターシャルマン

骨端症による脚部不安を抱えていたが治療が続けられ、1995年野村彰彦厩舎に入厩。翌年のデビューにこぎつけることができた。


1996年


1997年


1998年


1999年


2000年

  • 1月5日、京都金杯に出走し、5馬身差で重賞5勝目。史上初の桜花賞馬による7歳(現6歳)での勝利・7歳での重賞制覇を達成。
  • 3月21日、高知競馬場で中央・地方交流戦の黒船賞(ダート1400m)に出走し、ビーマイナカヤマの3着に敗れる。
  • 4月15日、マイラーズカップに出走し、マイネルマックスの6着に敗れる。このレースを最後に引退。

引退後

2001年よりノーザンファーム早来牧場で繁殖牝馬として繋養。

2007年5月9日、インペリアルマーチを出産した際に大腸変位で死亡。産駒は4頭しか残せなかった。しかし、その産駒からは皐月賞2着のトライアンフマーチの他、唯一の牝馬ヴィートマルシェからはフェアリーステークス3着のサンブルエミューズ、新潟2歳S2着のアヴニールマルシェ、そして、世界最大級の国際競走ブリーダーズカップにおいて、BCディスタフを勝利したマルシュロレーヌを出している


タイキシャトルとの夢の配合は実現しなかった。

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