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大淀の編集履歴

2013-12-14 22:56:38 バージョン

大淀

おおよど

日本海軍の軽巡洋艦の一つ。 帝国海軍の軽巡最後の艦型にして、連合艦隊最後の旗艦を務めたことで有名である。

大淀とは、日本海軍軽巡洋艦の1隻。艦名は宮崎県の大淀川に由来する。

第二次世界大戦直前、日本海軍が構想していた甲乙丙の3種の巡洋艦のうち、重巡洋艦の甲・水雷戦隊旗艦の乙と並ぶ、潜水艦の集団「潜水戦隊」を率いる丙巡として建造された。

直接敵艦と戦うのではなく、比較的距離をおいたところから、視界の狭い潜水艦に代わって航空偵察を行い、通信で指揮を執ることが想定されていた。そのため、装備の中心は6機の高速水上偵察機「紫雲」(とそのための大型格納庫・大型カタパルト)と司令部施設であった。いわゆる航空巡洋艦に数えられる。日本海軍の(空母以外の)艦艇で格納庫を持つものは珍しく、同じ航空巡洋艦の最上利根も搭載機は吹さらしである。ほかに格納庫を持つのは、主砲の大威力で搭載機も壊してしまう大和型戦艦ぐらいで、大淀がいかに搭載機を重視しているか分かる。


反面、大淀は対艦戦闘に重きを置いてはいない。武装は船体サイズの割に控えめで、主砲は15.5センチ砲3連装砲2基6門(大和型の副砲と同型である)、副砲として10cm連装高角砲を4基8門、25mm3連装・単装対空機銃で、魚雷は装備していなかった(※但し、対空戦闘においては当時最新式の副砲や機銃に加え、主砲の15.5cm3連装砲も遠距離目標への対空射撃が可能だったため軽巡としては破格の対空能力を持っていた)。


姉妹艦の建造は大戦勃発のため中止されたため、同型艦はない。


1943年2月28日竣工。しかし戦争の様相の移り変わりのため、潜水戦隊旗艦として働くことはなく、輸送任務などにあたっていた。「紫雲」も不作でせっかくの搭載施設も生かせない大淀は図体の割に攻撃力の乏しい軽巡洋艦で、使いどころに困る存在であった。

その大淀に、連合艦隊旗艦という任務が回ってきたのは、その戦力の乏しさからというのは皮肉である。戦局が逼迫する状況で、有力艦を旗艦任務につけて遊ばせておくわけにはいかないからである。潜水戦隊司令部とはケタ違いの規模を持つ連合艦隊司令部を載せるため、せっかくの大格納庫は司令部に転用された。

その旗艦任務も連合艦隊司令部が陸上に上がったため比較的短期間に終わり、大淀は一軽巡洋艦として、レイテ沖海戦・礼号作戦・北号作戦に参加。最後は本土で爆撃を受け、転覆した。1945年7月28日。


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艦隊これくしょん:任務娘が大淀であることが、「コンプエース」のコミカライズ版で判明している。


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