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大河内民明丸の編集履歴

2014-04-08 22:12:16 バージョン

大河内民明丸

おおこうちみんめいまる

百歳を過ぎても好奇心と想像力は果てること未だ知らずの民明書房の社長

日露戦争勃発の1904年生まれ。実家は神田で製本業をやっている。子供の頃は外で遊ばず家で読書をしていた。民明丸が書いた作文が全国児童作文コンクールで金賞を取った事から小説家を目指す。

実は金賞受賞は全くの手違いでありどこの出版社も彼の作品を認めなかった。それでもあきらめない民明丸は1926年(集英社もこの年に創業した)に自分で出版社を興した。本は全く売れずに翌年に倒産の危機。ストレスでハゲになり首つり自殺をしようとした時に神拳寺の師範に会い中国へ行く。

中国全土その隣国等の拳法・格闘技を取材し一冊の本を著した。その本が大ヒットした事で倒産はまぬがれた。


極!!男塾では本社のビルが大きくなっていた。

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