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概要

若竹型駆逐艦の4番艦。1922年11月20日起工、1923年9月1日進水。

改称前は第八駆逐艦と呼ばれていたが、1928年8月1日に、若竹4番艦の名称を早蕨に艦名変更された。

しかし、1932年12月5日、南支方面警備中に、海の難所の台湾北端富基角北方60浬で荒天に遭遇、艦長角田健吾少佐による必死の操艦を続けたが、艦の動揺が甚だしく逐に復元不可能となり、転覆沈没。艦長以下104名の尊い命が、艦と運命を共にした。早蕨は、若竹型の中で、日中戦争はおろか第二次世界大戦に参戦していない唯一の同型艦であり、また、天候によって沈没した唯一の駆逐艦である。

1933年4月1日除籍。

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