概要
1907年の桜型駆逐艦計画より現れた大日本帝国海軍の駆逐艦における等級のひとつ。当時日本海軍は従来の排水量400トン未満の小型駆逐艦を大きく超える排水量1000トン以上の大型駆逐艦、海風型駆逐艦の建造計画を有していたものの、予算の都合上海風型だけでは十分な数の駆逐艦を確保するには不足していた。そこで、海風型より一回り小さい600トン級の駆逐艦として桜型駆逐艦を建造する事が決定した。
以降、日本海軍は排水量1000トンを境に、より大型で強力な一等駆逐艦と、より小型で安価な二等駆逐艦を建造するハイローミックスの建艦方針を取る事となった。この体制は約16年に亘って続いてきたが、1922年にワシントン海軍軍縮条約に調印した事をきっかけとして、「戦艦の新規建造が出来ないならば補助艦艇を重武装化すればよい」とばかりに従来以上に強力な一等駆逐艦を集中的に建造する方針に切り替わってしまった(この結果として生まれたのが特型駆逐艦こと吹雪型駆逐艦である)。その為、その後も次々と建造される事となる一等駆逐艦に対して、二等駆逐艦は1924年の若竹型駆逐艦「早蕨」就役を最後に一隻も建造されない事となってしまった。
二等駆逐艦の艦名はすべて植物の名前に由来するものに統一されていた(例外的に就役当初の若竹型駆逐艦のみ、「第〇(号)駆逐艦」と偶数番号の艦名が与えられていた)。