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特型駆逐艦
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特型駆逐艦

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とくがたくちくかん

大日本帝国海軍が建造した艦隊型駆逐艦。正式名「吹雪型駆逐艦」。後の日本海軍の艦隊型駆逐艦の基本形となった。

※『艦隊これくしょん』の駆逐艦娘は「吹雪型」・「綾波型」・「暁型第六駆逐隊)」の各記事でそれぞれ解説。

建造

ワシントン海軍軍縮条約の締結により、八八艦隊の建造を中止した旧日本海軍が、条約の制限を受けない補助艦艇の整備を強化する方針を打ち出し、建造した駆逐艦である。

書類上の正式名称は「吹雪型駆逐艦」で、特型ではなくこの吹雪型駆逐艦で呼ばれる文献も多い。

特型の名前は、睦月型以前の駆逐艦(「特型」に対して「並型」と呼称される事も)よりも高性能な駆逐艦建造を要求された艦政本部が立ち上げた「特型駆逐艦対策委員会」の名称に由来している。

また、「特型」という呼称が後続の初春型白露型朝潮型までを含む呼称として用いられる場合もある。

設計主任は藤本喜久雄造船大佐。藤本は特型の設計で平賀譲に並ぶ名造船家としての名声を得た。

従来の駆逐艦と一線を画す重武装が与えられた吹雪型は、同時期にフランス海軍が建造したシャカル級大型駆逐艦とともに国内外に衝撃を与え、特型駆逐艦という呼称が有名になった。補助艦艇の建造を制限するために結ばれたロンドン海軍軍縮条約の駆逐艦の規定で「1500トン以上1850トン以下の大型駆逐艦は駆逐艦の排水量枠の16%以下」という特殊な条項があるのは、特型駆逐艦のような大型駆逐艦の建造を抑制するためである。

戦歴

太平洋戦争には、演習中の事故で沈没した深雪を除いた全ての特型駆逐艦が参戦したが、開戦の時点で既に旧式に属していた事から、第一艦隊や第二艦隊の上位部隊は甲型以降の新型艦が配備され、特型は睦月型や結果的に特型以下の性能に留まった初春型と共に“雑用”に使われることが多かった。

特に第一航空艦隊の随伴部隊(ミッドウェー海戦後に第三艦隊として再編されるまでは、あくまで第二艦隊の分派)に多く割かれていたことで有名。これは、当時の空母部隊はあくまで補助戦力とみなされていたためである。

しかしその結果、特型駆逐艦は所属部隊と共に戦史に名を残した艦が多いのも事実である。旧式化するにはしていたが、Uボート狩りにも不足する同世代の米英の駆逐艦よりは遥かに高性能だった。

ただし、この個艦優秀主義は後に護衛用駆逐艦の不足という形に繋がり、特型自体も個別撃破される形で次第に数を減らしてゆく事となる。

同型艦

比較的長期にわたって(1926〜1932年)多数の艦が建造されたため大きく3タイプに分類される。十一番艦~二十番艦を俗に「綾波型」、二十一番艦~最終二十四番艦を俗に「暁型」と呼ぶこともあるが、これらも含め、すべて吹雪型でくくられた文献も多い。

特I型(狭義での「吹雪型」)

詳細:吹雪型駆逐艦

特II型(別名「綾波型」)

詳細:綾波型駆逐艦

特III型(別名「暁型」)

特型最後の4隻、二十一番艦()~二十四番艦()。の4隻が、俗に「暁型」と呼ばれる。

機能付加により艦橋がさらに大型化、機関の改良により缶が4基だったものを3基に減少させることができ、一番煙突が細くなっている。しかし缶1基分(約50トン)の重量など喫水線下の重量が減少したことと艦橋の大型化等により重心が高くなり、第四艦隊事件後の大幅な改装により、艦橋の小型化、魚雷発射管位置の変更などが行われた。

ロンドン軍縮条約で「1500トンを超える艦は合計排水量の16%まで」という制限がかけられたため、1680トンの特III型の建造は4隻で打ち切られ、1400トンの初春型の建造に切り替えられた。

特型駆逐艦の中でも高性能だったため最前線で活躍したが被害も多く、終戦時に残存したのは響1隻のみだった。その響も、火事場泥棒的な参戦をしたソ連に賠償艦として引き渡され「ヴェールヌイ」となる(なお引渡し前には復員船を務めていた)。

1943年以降からは対空兵装を強化するために第二砲塔を撤去し、25mm連装及び三連装機銃を増設する改造が行われた。(1942年に喪失した暁には行われることは無かった)

ちなみに竣工・就役順では雷が1932年8月15日と一番早く、その次が意外にも電で同年11月15日。

一番艦の暁は同年11月30日で、響は一番遅く翌1933年3月31日となっている。そういう意味では、響が姉妹の末っ子と言える。

戦後、海上自衛隊に「雷」「電」が「いかづち」「いなづま」として、いかづち型護衛艦(全2隻)と新むらさめ護衛艦(全9隻)に受け継がれた。

また、「響」と同名(「響」としては3代目)のひびき型音響測定艦「ひびき」が存在する(ただし「ひびき」は響灘から命名したもので命名基準は駆逐艦とは異なる)。

2016年4月現在、むらさめ型「いかづち」・「いなづま」「ひびき」が現役。

「暁」だけ受け継がれなかったのは、歴代の運の悪さが原因とも言われている。

初代「暁」は明治時代に英国で建造された暁型駆逐艦(日本海軍の正式艦級において、暁型とはこちらを指す)のネームシップだったが、日露戦争の旅順閉塞作戦で蝕雷沈没してしまっている。その後ロシアから鹵獲した駆逐艦「レシーテリヌィ」に、ロシア側に使用を悟られないようにするため、沈没した「暁」の名前が受け継がれた(後に「山彦」に改称) 。

関連タグ

駆逐艦 大日本帝国海軍

吹雪(駆逐艦) 磯波(駆逐艦) 綾波(駆逐艦) 曙(駆逐艦) 漣(駆逐艦)

雷(駆逐艦) 電(駆逐艦) 響(駆逐艦) 暁(駆逐艦)

※『艦隊これくしょん』の駆逐艦娘は「吹雪型」・「綾波型」・「暁型第六駆逐隊)」の各記事でそれぞれ解説。

建造

ワシントン海軍軍縮条約の締結により、八八艦隊の建造を中止した旧日本海軍が、条約の制限を受けない補助艦艇の整備を強化する方針を打ち出し、建造した駆逐艦である。

書類上の正式名称は「吹雪型駆逐艦」で、特型ではなくこの吹雪型駆逐艦で呼ばれる文献も多い。

特型の名前は、睦月型以前の駆逐艦(「特型」に対して「並型」と呼称される事も)よりも高性能な駆逐艦建造を要求された艦政本部が立ち上げた「特型駆逐艦対策委員会」の名称に由来している。

また、「特型」という呼称が後続の初春型白露型朝潮型までを含む呼称として用いられる場合もある。

設計主任は藤本喜久雄造船大佐。藤本は特型の設計で平賀譲に並ぶ名造船家としての名声を得た。

従来の駆逐艦と一線を画す重武装が与えられた吹雪型は、同時期にフランス海軍が建造したシャカル級大型駆逐艦とともに国内外に衝撃を与え、特型駆逐艦という呼称が有名になった。補助艦艇の建造を制限するために結ばれたロンドン海軍軍縮条約の駆逐艦の規定で「1500トン以上1850トン以下の大型駆逐艦は駆逐艦の排水量枠の16%以下」という特殊な条項があるのは、特型駆逐艦のような大型駆逐艦の建造を抑制するためである。

戦歴

太平洋戦争には、演習中の事故で沈没した深雪を除いた全ての特型駆逐艦が参戦したが、開戦の時点で既に旧式に属していた事から、第一艦隊や第二艦隊の上位部隊は甲型以降の新型艦が配備され、特型は睦月型や結果的に特型以下の性能に留まった初春型と共に“雑用”に使われることが多かった。

特に第一航空艦隊の随伴部隊(ミッドウェー海戦後に第三艦隊として再編されるまでは、あくまで第二艦隊の分派)に多く割かれていたことで有名。これは、当時の空母部隊はあくまで補助戦力とみなされていたためである。

しかしその結果、特型駆逐艦は所属部隊と共に戦史に名を残した艦が多いのも事実である。旧式化するにはしていたが、Uボート狩りにも不足する同世代の米英の駆逐艦よりは遥かに高性能だった。

ただし、この個艦優秀主義は後に護衛用駆逐艦の不足という形に繋がり、特型自体も個別撃破される形で次第に数を減らしてゆく事となる。

同型艦

比較的長期にわたって(1926〜1932年)多数の艦が建造されたため大きく3タイプに分類される。十一番艦~二十番艦を俗に「綾波型」、二十一番艦~最終二十四番艦を俗に「暁型」と呼ぶこともあるが、これらも含め、すべて吹雪型でくくられた文献も多い。

特I型(狭義での「吹雪型」)

詳細:吹雪型駆逐艦

特II型(別名「綾波型」)

詳細:綾波型駆逐艦

特III型(別名「暁型」)

特型最後の4隻、二十一番艦()~二十四番艦()。の4隻が、俗に「暁型」と呼ばれる。

機能付加により艦橋がさらに大型化、機関の改良により缶が4基だったものを3基に減少させることができ、一番煙突が細くなっている。しかし缶1基分(約50トン)の重量など喫水線下の重量が減少したことと艦橋の大型化等により重心が高くなり、第四艦隊事件後の大幅な改装により、艦橋の小型化、魚雷発射管位置の変更などが行われた。

ロンドン軍縮条約で「1500トンを超える艦は合計排水量の16%まで」という制限がかけられたため、1680トンの特III型の建造は4隻で打ち切られ、1400トンの初春型の建造に切り替えられた。

特型駆逐艦の中でも高性能だったため最前線で活躍したが被害も多く、終戦時に残存したのは響1隻のみだった。その響も、火事場泥棒的な参戦をしたソ連に賠償艦として引き渡され「ヴェールヌイ」となる(なお引渡し前には復員船を務めていた)。

1943年以降からは対空兵装を強化するために第二砲塔を撤去し、25mm連装及び三連装機銃を増設する改造が行われた。(1942年に喪失した暁には行われることは無かった)

ちなみに竣工・就役順では雷が1932年8月15日と一番早く、その次が意外にも電で同年11月15日。

一番艦の暁は同年11月30日で、響は一番遅く翌1933年3月31日となっている。そういう意味では、響が姉妹の末っ子と言える。

戦後、海上自衛隊に「雷」「電」が「いかづち」「いなづま」として、いかづち型護衛艦(全2隻)と新むらさめ護衛艦(全9隻)に受け継がれた。

また、「響」と同名(「響」としては3代目)のひびき型音響測定艦「ひびき」が存在する(ただし「ひびき」は響灘から命名したもので命名基準は駆逐艦とは異なる)。

2016年4月現在、むらさめ型「いかづち」・「いなづま」「ひびき」が現役。

「暁」だけ受け継がれなかったのは、歴代の運の悪さが原因とも言われている。

初代「暁」は明治時代に英国で建造された暁型駆逐艦(日本海軍の正式艦級において、暁型とはこちらを指す)のネームシップだったが、日露戦争の旅順閉塞作戦で蝕雷沈没してしまっている。その後ロシアから鹵獲した駆逐艦「レシーテリヌィ」に、ロシア側に使用を悟られないようにするため、沈没した「暁」の名前が受け継がれた(後に「山彦」に改称) 。

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