概要
1975年7月28日生まれ。青森県青森市出身。
高校を中退後、ヨネクラジムへ入門するが馴染めず、京浜川崎ボクシングジムに移籍する。
1996年3月18日、東京にて崔重七(韓国)とOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦を行い、2回KO勝ちを収めて王座の獲得に成功した。
1996年9月21日、オッキー・バクリン(インドネシア)と対戦、9回KO勝ちを収めて2度目の防衛。その後、同年11月に所属する京浜川崎ボクシングジムの会長が不祥事で逮捕されたことにより、柳和龍トレーナーとともに横浜光ボクシングジムへ移籍する。
1997年2月17日、後楽園ホールにて尹東澈(韓国)と対戦、4回TKO勝ちを収めて3度目の防衛。試合後に世界挑戦準備のため王座を返上した。
1998年3月29日、両国国技館にて再起戦として18戦無敗の日本スーパーフェザー級王者コウジ有沢(草加有沢)に挑戦し、9回TKO勝ちを収めて王座の獲得に成功した。
1998年9月5日、両国国技館にて2度目の世界挑戦として前回(1997年)引き分けたWBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙に再び挑戦し、2-0の判定勝ちを収めて2度目の挑戦で無敗のまま世界王座の獲得に成功した。
1999年2月13日、有明コロシアムにてサウル・デュラン(メキシコ)を迎えて初防衛に成功。
1999年6月27日、有明コロシアムにて同級1位の指名挑戦者ラクバ・シン(モンゴル)を迎えて2度目の防衛戦を行うも、5回TKO負け、試合後の同年7月に現役引退を表明し、その後は鶴太郎マネージャーの紹介で芸能界入りし、テレビでのタレント活動を開始。
2000年、引退を撤回しプロボクサーとして復帰することを発表する。
2000年6月11日、階級をライト級に上げてWBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑戦。8回KO勝ちし、2階級制覇を達成した。
その後2度防衛した。
2001年7月1日、さいたまスーパーアリーナにて同級1位の指名挑戦者で元WBA世界ライト級王者ジュリアン・ロルシー(フランス)を迎えて3度目の防衛戦を行うも、判定負けを喫し王座から陥落した。この試合を最後に2002年1月、正式に引退した。
引退後の2002年7月、元WBA世界ミドル級王者・竹原慎二と共同で竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムを開設。当初はアマチュア専用のジムとして運営していたが、2008年にプロ選手も受け入れるようになった。