概要
亀田兄弟の父・史郎が、「3人を(ボクシングの)世界チャンピオンに育てる」と公言。興毅がまだアマチュアだった2000年頃からTBSが密着取材をし、独特のトレーニング方法等を紹介、協栄ボクシングジムに移籍して他のメディアでも注目。
その通り3人はボクシング世界チャンピオンになったが協栄ジムを飛び出し独立したがいろいろ問題もあって事実上の国外追放処分も受けた。
現在は和毅一人が2016年に協栄ジムに復帰、現役。(興毅・大毅は2015年に引退)
また2006年に設立された個人事務所・株式会社亀田プロモーション所属(スポンサー契約、テレビ出演などのマネージメント等、主にリング外での亀田三兄弟の活動について)で興毅が社長についている。
現時点で3兄弟世界王者タイトル保持、3兄弟同時の世界王者のギネス世界記録を持つと共に興毅は日本人ボクサーとしては初の3階級制覇(ライトフライ級、フライ級、バンタム級)を成し遂げた。
人物
- 亀田興毅(メイン画像中)
1986年(昭和61年)11月17日生まれ。元WBA世界ライトフライ級、元WBC世界フライ級、元WBA世界バンタム級王者。日本人初の3階級制覇。
- 亀田大毅(メイン画像左)
1989年(昭和64年)1月6日生まれ。元WBA世界フライ級、元IBF世界スーパーフライ級王者。二階級制覇王者。左目の網膜剥離のため引退。
- 亀田和毅(メイン画像右)
1991年(平成3年)7月12日生まれ。元WBO世界バンタム級王者,現WBC世界スーパーバンタム級暫定王者。メキシコでプロデビュー。
三兄弟の下に妹・亀田姫月(女性ファッションモデル、タレント)がいる。
また、いとこの亀田京之介も協栄ジム所属のボクサーである。
この亀田兄弟が父から受けたトレーニング方法があまりにもボクシングの技術として役に立たないものであった。要するに、漫画に出てくるような奇抜な特訓をそのまま実践していたようなものである。
これらについては引退後に興毅も一部の練習には「意味なかった」とテレビなどで語っている。
大バッシング
不遜な態度等に始まる亀田兄弟の様々な疑惑がこれまで取り沙汰されてきたが、次男の大毅が内藤大助との対戦前にアピールしたビッグマウスの「負けたら切腹する」が、大毅が試合後半に行った数々の反則の醜態によってブーメランになって帰ってきてしまった際、常々亀田家に反感を持っていた一般人・ボクシングファン・ネット民はともかく、当のTBSを含むマスコミからもハシゴを外されて一気に亀田家は世間から大バッシングされてしまった。
よりにもよってこの試合での大毅の場内アナウンスが「範馬勇次郎が唯一認めた男」の演出だった為、刃牙ファン(大毅も刃牙シリーズのファンだった)からも当時反感を買っていた。しかも認められた割には醜態を晒すあたり色々とお察しである。
元々大毅は兄や弟と違いボクシングに向いてなかったらしく、父親からも冷遇に近い態度を受けており褒められるというものが殆ど無かったという。ところがプロデビュー以降勝利する度に周りからチヤホヤされだしてからは、彼自身の勘違いに始まる増長が一ボクサーの人間性として形成されてしまっていたのである。
迎えた内藤との対戦中に焦りと反則を繰り返すのが目立ちはじめ、セコンドにあった父と兄の「反則指示」と思われる声がマイクに拾われていた事、ついには明らかに反則とわかるレスリング行為(対戦相手を持ち上げたりする等。しかも複数回)が反則負けの判定の決定打となり、亀田兄弟の敗北が大きく報道される事となる。まず他のボクシングの試合ではほとんど見られないレスリング行為が目の当たりになったのはまさに異常事態であった。無論、日本ボクシング界を巻き込む騒動に発展した。
この試合で亀田三兄弟に黒星を与えて一躍時の人となった内藤もこの試合に関して「ボクシングにはレフェリーの目を盗んで反則ギリギリを狙うテクニック」がある事を踏まえた上で、大毅が繰り出してきた反則には「異常かつ危険な反則行為があからさまだった」と感じた事を後に語っている。
試合後、大毅はこれまで味わった事の無かった敗北による反動によりかなり憔悴しきってしまい、ついには謝罪会見では一言も話す事ができずに俯く姿があった。その後執拗にマスコミに張り付かれるようになってからは人前に出る事もなくしばらく親類の家で隠棲していたが、たまに変装して外出していたが一般人にもバレてしまってからしばらく対人恐怖症に近い状態にあったという。
後に内藤と同時期に世界フライ級王者でもあった坂田健史や当時の大毅以上にラフプレイも多くやりたい放題なプレイで悪目立ちしていたデンカオセーンから勝利をもぎ取る、2階級制覇を達成したことを考えると大毅は決して「才能がなかった」わけではなく、兄興毅もさん兄弟の中でも「一番才能がある」と大毅を評していたことからも、彼が後々に実力をつけたことは明記したい(もっとも一番練習していなかったらしいが)。
大バッシング後からの冤罪
これ以降もファンからの印象が悪く、ルールミーティングで恫喝した・負けても王座保持など世間からの評価が悪辣なまま一時的に日本ボクシング界から追放されたこともあった。
とはいえ、これらに関する問題は後に日本ボクシングコミッション側の冤罪や明確な瑕疵があったことが明らかとなっている。
前者の恫喝問題は誹謗中傷まがいの事を書いたライターの片岡亮やそれを首謀したリングアナウンサーの冨樫光明らによって作られた明確なでっち上げであったことは法廷などで明らかとなっており、後者の追放についても日本ボクシングコミッション側の明確な確認不足(職員に英語を読むことができる人物が皆無であった上に、亀田陣営の発言をうのみにしたことが事の発端でもある)後々に解除されて損害賠償1億円を日本ボクシングコミッションが亀田陣営に支払う判決が出ている。
また、和毅がラスベガスで試合を行う際ネバダ州ボクシングコミッションに「試合を行わせないようにする通達文」を日本ボクシングコミッションが送付したことも明らかとなったが、すでに和毅は海外のライセンスを取得したうえで試合が決定していたため一蹴されたという。
こうした冤罪などが引き起きたのは亀田陣営の問題も大なり小なりあったことは事実である。しかし、それ以上にボクシングファンを名乗る人たちからのバッシングや感情論で亀田を排除しようとした人物たちがいたことは忘れてはいけない。
そうした点からもボクシングファンと関係者の閉鎖的な考えから亀田一家は苦しめられた、人格的な否定まで受けることになったといえるだろう。
どんなに問題があったとは言えど、感情で人を傷つけることはだれであれ避けなければならないのだ。