優れたスピードと抜群のカウンターセンスを武器に世界王座3階級制覇を達成した日本の元プロボクサー。第26代WBC世界バンタム級王者。第42代WBC世界フェザー級王者。第31代WBC世界スーパーバンタム級王者。左ボクサータイプ。ニックネームは「日本のエース」。
プロ通算41戦36勝(16KO)5敗。
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経歴
1980年12月16日生まれ。兵庫県西脇市出身。
小学2年生の頃から元プロボクサーの父親にボクシングを教わり、一時期は反発するがその後千里馬神戸ジムからプロデビュー。元警察官でボクシング経験の無い山下正人トレーナーとコンビを組み、2002年後半頃から頭角を現して2003年にOPBF東洋太平洋バンタム級王座を獲得。
2005年にWBC世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーションへ挑戦。当時14連続防衛中で絶対的王者として君臨していたウィラポンに判定勝利し、新王者となる。
その後、ウィラポンとの再戦(9RTKOで勝利)、山下トレーナーの独立とジム設立に伴う移籍などを挟み、日本のジムに所属する世界王者としてはいずれも具志堅用高に次ぐ10連続防衛、5連続KO防衛などの記録を残す。(10連続防衛は後にWBC世界バンタム級王者となった山中慎介に抜かれる。)
その中には2度目のウィラポンをはじめ、3度目のヘナロ・ガルシア(メキシコ)、5度目のシモーネ・マルドロット(イタリア)、8度目のブシ・マリンガ(南アフリカ)ら当時ランキング1位の選手や4度目の時の相手で後のWBA世界フェザー級スーパー王者のシンピウェ・ベチェカ(南アフリカ)といった強豪と対戦している。
2010年4月に11度目の防衛戦として挑戦者にWBO世界バンタム級王者フェルナンド・モンティエルを迎えて事実上の統一戦(当時日本でWBOは未公認団体だったので、長谷川が勝利の場合はWBC王座のみ防衛でWBO王座は空位となり、モンティエルが勝利の場合は両王座統一となる変則的な形式)を行うが、顎の骨を割られる4回TKO負けで5年間保持した世界王座から陥落する。
世界王座陥落後はかねてよりの減量苦を理由に2階級重いフェザー級へ転向し、2010年11月に転向初戦でいきなり世界戦となるWBC世界フェザー級王座決定戦に出場。それまで全勝だった世界ランク1位のファン・カルロス・ブルゴスに大差判定勝利して日本人初となる飛び級での2階級制覇を達成。しかし、このタイトルは初防衛戦で西岡利晃と対戦経験のあるジョニー・ゴンサレスに4回KO負けして失う。
ゴンサレス戦後ノンタイトルマッチ4試合をこなし、3階級制覇を目指してスーパーバンタム級に転向。2014年4月にIBF世界スーパーバンタム級王者キコ・マルチネスへ挑戦するが7回TKO負けを喫する。
2016年9月16日、WBC世界スーパーバンタム級王者ウーゴ・ルイスに挑戦し、9回終了TKO勝利で男子日本人選手4人目となる3階級制覇を達成。35歳9ヶ月での世界王座獲得は国内男子最年長記録を更新し、5年5ヶ月ぶりに世界王者となった。
同年12月9日、神戸市内で会見し、現役世界王者のまま現役引退を表明した。
「引退理由は自分に証明することがなくなった。もう一つは心と体を一致させて世界戦をして世界王者になる目標を達成し、戦う理由もなくなった。前回以上の気持ちを作るのが難しくなった。自分の思っていた以上の足跡を残せたボクシング人生だった」
「ボクシングは僕の人生のすべて。ボクサーとして何ができるかこれからも考えたい。ずっとボクサー長谷川穂積として生きていきたい」
と語った。王座は11日にWBC総会に出席し、直接返上する。
引退後は各局で放送されるボクシング中継の解説者やタイ料理店『クルアタイ』のオーナーをしている。
(因みにウィラポンもレストランを経営し、長谷川がテレビ番組の企画で店を訪れている。)
2016年には長男・大翔と「1分間に2名のチーム制で最も高くプラスチック製の組立てブロックを積み上げた数」で64個を積み上げ、ギネス世界記録認定された。(詳細はこちら。)
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外部リンク
YouTubeチャンネル『長谷川穂積のラウンド13』