サウスポーのボクサーファイターで、左の強打は一撃で相手を沈めてしまう程の強打。
愛称は「スピードキング」、「モンスターレフト」
幼少の頃からプロボクサーを志し、小学5年生の時、地元のJM加古川ジムに入門。
高校3年の時、所属ジムでデビュー。
1998年12月、19戦目で日本王座初挑戦、奪取。2度の防衛後日本王座を返上した。
2000年6月25日、24戦目で世界初挑戦。辰𠮷𠀋一郎を2度にわたってKOしたWBC世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)に挑むが、12回判定負けで王座獲得に失敗。
この試合の翌日、世界再挑戦をより現実のものとするため帝拳ジムへの移籍を表明。同年9月から正式に同ジム所属。以後三回挑戦したが獲得できず、その間に2001年暮れの練習中に左足にアキレス腱断裂を負い1年遠ざかることもあった。
4度目の奪取失敗後、スーパーバンタム級に階級を上げ、2008年4月の試合まで海外で試合を重ねるなどで8連勝(5KO)を収めた。
2008年9月15日、4年半ぶり5度目の世界挑戦。パシフィコ横浜で同級3位ナパーポン・ギャットティサックチョークチャイ(タイ)とWBC世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦を争い、3-0の判定勝ちで獲得。3か月後の同年12月20日、正規王者イスラエル・バスケスが網膜剥離によって王座を返上、正規王座に昇格、7度防衛。
- 2度目の防衛戦では豚インフルエンザが大流行して多数の死者が出たメキシコで同級2位で元WBO世界バンタム級王者でもあるスター、ジョニー・ゴンサレス(メキシコ)との指名試合をする。一度ダウンをとられるも王者の左ストレートが挑戦者の顎にクリーンヒットし仰向けにダウン。その後レフェリーが試合をストップした。この時メキシコの放送局から母国のスター選手を一発のパンチで倒した西岡の左ストレートを「モンスターレフト」と呼ばれる。
- 7度目の防衛戦では元王者で2階級制覇のラファエル・マルケス(メキシコ)と対戦、3-0で下す。
2012年3月15日、日本人初となる名誉王者に認定、正規王者は空位に。
同年8月15日、世界4階級制覇王者でIBF・WBO世界スーパーバンタム級統一王者ノニト・ドネア(フィリピン)との王座統一戦を行う。(試合前にIBF王座は返上。)ほとんど何もできないまま9回1分54秒TKO負けを喫し、11月13日に西岡自身が会見を開き引退を表明。
引退後ボクシング解説者に転じ、2013年兵庫県西宮市において西岡利晃GYMを開いた。
関連人物
長谷川穂積・・・4回挑戦して勝てなかったウィラポン・ナコンルアンプロモーションから判定勝利でWBC世界バンタム級のタイトルを奪取。リターンマッチでKO勝利もしている。一方でジョニー・ゴンサレスにはTKO負けでWBC世界フェザー級王座を明け渡している。