初代
雷型駆逐艦の2番艦。1899年4月25日、竣工。同月26日に出航し、同年6月25日、横須賀に到着。1909年(明治42年)12月16日、函館南方で汽帆船と衝突し、沈没。1910年(明治43年)夏に浮揚後、9月15日除籍。
2代目
吹雪型駆逐艦の24番艦(暁型の4番艦)。ロンドン海軍軍縮条約により、駆逐艦は「1500トンを超える艦は、合計排水量の16パーセントまで」という制限が設けられ特型の増産が不可能となり、本艦をもって建造が打ち切られた。
藤永田造船所で1930年3月7日起工され、1932年11月15日竣工した。
1934年6月29日、済州島南方で演習中に「深雪」に衝突、艦首部を喪失し「深雪」は沈没した。軽巡洋艦「那珂」に曳航され、後進で佐世保に帰投、修理は呉で約三ヶ月間かけて行われた。
戦歴
1934年11月から「暁」「響」「雷」と共に第6駆逐隊を編成し、1940年11月、第1艦隊第1水雷戦隊に編入され太平洋戦争を迎えた。1941年12月4日から香港攻略戦に、1942年1月9日からはメナド攻略戦に参加。1月20日、ダバオ湾口付近で「仙台丸」と衝突し、工作艦「明石」に横付けし応急修理、さらに馬公工作部で修理を実施した。2月21日、高雄から出動する重巡洋艦「妙高」を護衛、3月1日、スラバヤ沖海戦に参加し、撃沈された英重巡洋艦「エクセター」の乗組員376名を救助した。5月20日、北方部隊所属となりキスカ方面の護衛任務に従事した。8月31日、呉に入港し、内海西部で第2航空戦隊と訓練を実施し、10月4日、同戦隊(「飛鷹」)を佐伯港からトラックまで護衛、その後は船団護衛任務に従事した。11月12日、第三次ソロモン海戦に参加した。さらに、12月末まで東部ニューギニア輸送作戦に従事した。
1943年2月から千島方面の船団護衛任務に従事し、3月27日、アッツ島沖海戦に参加した。4月1日、第1艦隊第11水雷戦隊に編入され、5月から12月まで横須賀~トラック間の船団護衛任務で7往復した。12月には陸軍部隊をトラックからクサイ島まで輸送し、さらに空母「飛鷹」「龍鳳」の護衛に従事した。
1944年1月から4月まで空母「海鷹」「千代田」などの護衛にあたった。5月14日、マニラからダバオまでの船団護衛中に、セレベス海で米潜水艦「ボーンフィッシュ」(USS Bonefish, SS-223)の雷撃を受け沈没。常盤艦長以下169名が戦死した。